3.SOS ガシャン! その音を耳にしたとき、真奈美は自分自身の血の気が引くのを感じた。 「え? え? ええ!!?」 自分の置かれた状況を把握できず、言葉にならない悲鳴を上げる。 身体を動かそうとすると、無機質な音と共にそれを妨げようとする力が働いた。 ――どうしよう、身体の自由がきかない。 少しでも落ち着こうと、目を閉じて、ふうっと深呼吸をする。 恐る恐る片目を開けてみたが、状況の変化はもちろん見られなかった。 況して、これが夢であるはずもない。 現実逃避することを諦め、真奈美はゆっくりと辺りを見渡した。 真奈美は、聖帝学園内にある保健室にいた。 上條が現在出張中で不在のため、いつもは彼目当ての女子生徒たちが集まり賑わいを見せるこの一室も、今はしんと静まりかえっている。 これが本来の保健室の姿なのだが、聖帝学園の日常に慣れてしまったためか、その静けささえ不気味に感じられた。加えて、電気が一つもついていないことも不気味さを増させる要因になっているのかもしれない。 真奈美は、そんな閑散とした保健室のベッドに一人腰をおろした状態でいた。 視線を落とした先あるのは自分の両腕。それだけなら何も問題はないのだが、一点だけ見慣れないものが目に入る。 両手首に掛けられた手錠。しかも、その鎖はなぜかベッドの頭部側にあるパイプ部分にしっかりと繋がれていた。 受け止めがたい現実だが、もうこれ以上目を逸らすことはできなかった。 どうしてこんなことになってしまったんだろう。 真奈美は混乱する頭の中で、今までに起きたことを振り返った。 それは、聖帝学園の悪戯教師のひと言から始まった。 「クシャ〜、おまえンとこの阿呆生徒がァ、ついさっきぶっ倒れたらしいぜェ」 放課後、職員室でこれから行う補習の準備をしているときに、突然そう告げられ、真奈美は目を白黒させた。 「ええっ! 今日まで上條先生がいらっしゃらないのに、大丈夫だったんですか!?」 「まァ、俺様が介抱してやったからなァ。ダイジョブなんじゃねーの? ただ、おまえの名前をうわ言のように呼び続けてたよーな?」 「ありがとうございます!って、え? 私の名前をですか…?」 尋ねる真奈美に、清春は真剣な面持ちで頷く。 「あァ、なんか悩みでもあるのかもしれないぜ? 今、保健室で眠らせてるから行ってやんナァ」 「はい、そうします! 教えてくださって、ありがとうございました! それに介抱まで――」 「そんなことはいいからよォ、早く行ってやれって、ナ?」 背中を強引に押され、少し戸惑いつつも、真奈美は「失礼します!」と一礼してから、職員室を後にした。 真奈美が走り去った後、残された清春の口から、彼の特徴的な笑い声が僅かに漏れたが、それは誰の耳にも届かなかった。 聖帝学園の長い廊下を、真奈美は保健室に向かって全速力で走っていた。 こんな姿を誰かに見られたら、教師として示しがつかないだろう。特に規律に厳しい鬼の生徒会長に見られでもしたら、何を言われるか想像に難くない。 だが、例え注意され叱られようとも、この足を止めることはできなかった。 廊下を走る真奈美の中に、ふと一つの疑問が生まれた。 ――……あれ、そういえば、誰が倒れたか訊いてなかったな。 緊急事態に慌てていたため、大切なことを確認していなかった。清春の言葉から察するに、A4の誰かということなのだろうか。 ――天十郎君が足を滑らせて御輿から落ちてしまったのかもしれない。それとも、千聖君が寝ながらそのまま倒れてしまったとか……。ううん、ファンの子に詰め寄られて揉みくちゃになった八雲君が窒息して……というのも考えられるわ。もしくは、アラタ君の頭にテニスボールがあたったとか……。 混乱した状態の中で考えても、悪いことばかりが思い浮かんでしまう。 真奈美は頭を振って、保健室に向かうことだけに集中した。 誰かは分からないが大切な生徒が自分の名前を呼んでいたというのだ。一刻も早くその子の元に行き、安心させたいと思った。 ようやく、保健室の前まで辿り着いた真奈美は逸る気持ちを抑えて、一度その足を止めた。 自分まで慌てた様子を見せていたら、生徒が戸惑ってしまうかもしれない。そう思い、荒い息と混乱した心を少しでも鎮めようと努めた。 一度深く呼吸をしてから、よし!と心の中で決意すると、保健室のドアを二回ノックした。 中からの返事なかったが、もしかしたらまだ眠っているのかもしれないと思い、真奈美は静かにそのドアに手を掛けた。 「失礼しまーす」 声を抑えつつ、ゆっくりと中を覗く。 保健室の中には、もちろん上條の姿はなく、それ以外の人間の気配も感じられなかった。電気もついておらず、部屋の中は静まりかえっている。保健室特有の薬品のにおいが真奈美の鼻を擽った。 照明をつけたら、眠っている生徒が目を覚ましてしまうかもしれない。そう思った真奈美は、足音を立てないように注意しながら、ベッドの方に足を進めた。 ベッドを覗き込むと、そこには人が眠っているような膨らみがあった。だが、頭まで布団がかかってしまっているため、誰が寝ているのかは分からなかった。 申し訳ないと思いつつも、生徒の顔を確かめようと布団に両手を掛けたとき、無機質な音が室内に響いた。 一瞬の出来事だったため、どのような力が作用したのか分からなかったが、布団の膨らみから突然手錠が飛び出し、真奈美の両手を正確に捕らえたのだった。 ……そして、現在に至る。 ちなみに布団の中には、生徒の姿などはなかった。 中に潜んでいたのは、先ほど飛び出した手錠と……一通のメモだった。 恐る恐るそのメモを見ると、そこには『阿呆が見るゥー。クシャ、誰を想像したァ?』と、雑な字で書かれていた。 「仙道先生……」 真奈美は脱力した声で、この罠を仕掛けた張本人の名を呼んだ。 「誰かー助けてくださいー」 情けない声で、廊下に向かって叫ぶ。 この広い校舎の中で、自分の声を聞きつけてくれる人間が果たしているのだろうかと、真奈美は不安になった。 しかも、今は放課後であるため、残っている教師や生徒の人数も限られている。 今日、補習の約束をした千聖が心配して捜しに来てくれるかもしれないと思ったが、彼が極度の方向音痴であることを思い出し、真奈美はすぐその考えを改めた。 千聖の場合、例え捜しに来ようとしてくれても、自分を見つける前に彼自身が行方不明になるという二次遭難を偶発させてしまう恐れがあるのだ。これ以上被害を大きくしたくない。千聖のためにもそれだけは避けなければと思った。 「まだ補習までには時間があるし、なんとしてでも脱出しなきゃ」 そう決意するも、解決策は容易には浮かばなかった。 手錠を掛けられた手を無理に引っ張ってみるも、ただ痛みを伴うだけで、手錠自体はうんともすんとも言わない。 ベッドの周辺に開錠させるための鍵がないかと探してもみたが、そんな幸運は落ちていなかった。 ふぅ、と真奈美は小さい溜め息をついた。 最悪、警備員さんが見回りに来るまで、ここにいなければならないのかもしれない。 けれど、数日前から主不在の保健室まで、見回りが来るのだろうか……。 そんな不安に駆られかけたとき、突然室内の灯りがついた。そして、部屋の中に聞き覚えのある声が響く。 「あれ、どうしたのさ? せんせい」 眩しさに細めた目を声のした方に向けると、そこには方丈那智の姿があった。 廊下に続くドアの隙間から、不思議そうな表情を覗かせている。 「那智君! お願い、助けて!」 「ん〜いいけど。せんせい、それ何かの遊び?」 「そんな訳ないでしょう!」 近づきながら、暢気なことを言う那智にすかさず突っ込んでしまう。 思わぬ救世主の登場に、真奈美の心は躍った。 時間軸が分かりづらいかもしれませんが、「1.自覚」より前のお話です。 清春の口調が難しかったー。 シリアス調にそろそろ息苦しさを感じ始めていたので、ちょっと明るめの内容になりました(笑) 2009.2.17.up |