*if you catch a cold / 慧


「おい、待て」
 昼休み、聖帝学園の廊下を真奈美が足早に歩いていると聞き慣れた声に呼び止められた。
 振り返り、声の方に顔を向けると、そこには思った通りの人物がいて。
「あ、慧君」
「ClassZに持っていくのか?」
 訊ねる慧の視線は、真奈美の両手に山のように積まれたプリントの束に注がれている。
「うん、次の授業で配ろうと思って」
「ならば、手伝おう」
「え?」
「それは僕が持つと言ったんだ。ほら、貸してみろ」
「ええっ、いいよいいよ! これくらい一人で持てるし、それにClassAとは方向が逆じゃない。慧君に遠回りさせちゃうよ」
「はぁ……お前はつくづく阿呆だな」
 首を振る真奈美に、慧は呆れたと言わんばかりの盛大なため息をつく。そして、白い手袋に包まれた長い指で眉間を押さえながら続けた。
「僕が今戻るべき教室はClassAではない。今日からお前のクラスに編入したはずだが?」
 忘れたのか?と睨まれ、真奈美はやっと彼のため息の理由を理解した。
「ご、ごめんね、なんだかまだ実感が湧かなくて」
「フン、一ヶ月だけのことだ。早く慣れるんだな」
「……はい」
 少しだけ強めの語調で言われ、真奈美は身を小さくさせて返事をした。
 うっかりしていた自分が悪いのは認めるけれど、これでは立場が逆だな、となんだか情けなくなる。
「だが、目的地が同じならば、お前も文句はあるまい。ほら、早くそのプリントを貸せ」
「うーん、そう言ってくれるのは嬉しいけど、本当に私だけで平気だよ?」
 言葉にしたのは素直な気持ちなのだが、教師としての意地が少しだけ真奈美を頑なにさせた。
「……強情な奴だな」
「むっ」
「では、先ほどから気になっていることを言うが」
「? なに?」
「――お前熱があるだろう?」
「へ?」
 慧からの予期せぬ指摘に、思わず声が漏れる。
「顔が少し赤い」
「ええっ、そうかな?」
「……お前、気付いてないのか?」
「うっ」
 確かめようにも、真奈美の両手は塞がれてるため、自分の額や頬に触れることも、鏡を取り出すこともできない。
 小さく唸る真奈美を見て、慧は二度目のため息をついた。
「全く、仕方のない」
 そう独り言ちた後、するりと右の手袋を外し、露になったその手を真奈美の額にあてた。
 冷たいと表現してしまうのは大袈裟すぎるが、ひんやりとした心地よい感触が額から伝わってくる。
「け、慧君!?」
「ほら、お前の方が熱を持っている」
 慌てる真奈美を余所に、慧は眉を顰めながら続ける。
「体調管理はきちんとしているのか?」
「う、うん……一応」
「……また倒れるつもりじゃないだろうな?」
「そ、そんなことはありません!」
「フン、言うだけなら簡単だ。……まだ授業開始までは時間があるな、保健室に行って薬を貰ってこい」
「で、でも、これ――あ!」
 言いかけた真奈美の手からプリントの束を全て奪うと、慧は蒼い瞳を僅かに細めて告げる。
「だから、初めから僕が持つと言っている。たまには素直に聞け」
 言葉は厳しいけれど、その声色はどこか優しさを帯びていて。
「慧君、ありがとう」
「礼には及ばん」
 真奈美から顔を背け、ぶっきら棒に言い放つ。
 最近、少しだけ丸くなってきた印象の彼だが、不器用なところは相変わらずらしい。
 けれど、その根底にある優しさを、真奈美は知っている。
 視線を合わせない慧に、心の中でもう一度「ありがとう」と言ってから、今度は声にして言葉を掛ける。
「あの、私もすぐ教室に戻るから!」
「ああ、待っている」
 そう答え、両手にプリントを抱えた慧はすたすたと足を進めてしまう。
 次第に小さくなる背中を見送りながら、真奈美の指が無意識に額に触れる。そこには、未だ彼の掌の感触が残っていた。





 手袋を外して…っていうのをやってみたかっただけです(笑)
 風邪引き…というか体調不良? うーん、苦しいな…(汗)


 2009.5.14.up