*if you catch a cold / 千聖


「ほら、口を開けて」
「…………嫌だ」
「我侭言わないの」
「それくらい自分で食える。だから器ごと渡してくれ」
「ダメよ。そう言ってて、さっきコップを落としそうになったじゃない」
「……むぅ」
「ほら、お粥だって冷めちゃうよ。ね、だから口開けて?」
「…………それだけは嫌だ」
 頑として要求を聞いてくれない千聖を前に、真奈美は小さく息をついた。

 ここは、千聖の自室。
 ベッドに腰を下ろし、お粥を勧める真奈美と、上体を起こしたままの体勢で頑なにそれを拒む千聖。
 このような攻防が、10分ほど前から続いている。
 おそらく発熱の影響だと思われるが、先ほど千聖は水を飲もうとして、手を滑らせてしまったのである。そんな彼を目の当たりにした真奈美には、朦朧としている今の千聖が、自分の手で食事をすることが非常に困難に思えた。
 だから、彼の口に食べ物を運ぶ手助けをしたいと思ったのに、目の前の恋人の反応はこれである。
「なんで、そんなに嫌がるかな?」
「……恥ずかしいからに決まっているだろう」
「そう? 子どものとき、よくやって貰わなかった?」
「いつの話をしてる。俺はもう大学生なんだぞ?」
「それはそうだけど、食べられないなら仕方ないじゃない?」
「……ぐ」
 事実を指摘され、千聖は小さく唸った後、項垂れるように視線を落とした。
 真奈美にとっても恥ずかしくないと言えば嘘になるけれど、彼の身を案じる気持ちの方がそれより勝っているのだから、今はただ己を信じるのみである。
 腹を括った彼女は強い。
「千聖君って猫舌だったっけ?」
「…………違う」
 レンゲの中のお粥をふぅふぅと優しく息を掛けてみせるも、千聖は視線を合わせないままで。
「味見だってちゃんとしたよ?」
「……お前の料理が不味いはずはない」
 言葉は彼女を気遣っているものの、行動は未だ拒否を示すのみ。
「ねぇ、食べてくれないと困るよ」
 痺れを切らした真奈美が伏せた顔を覗き込むように窺うと、やっと彼の視線と重なった。やや虚ろではあるが、その瞳は真奈美を捕らえている。
「…………なら、俺の望みを聞いてくれるか?」
 掠れた声で問われ、真奈美は一瞬だけ言葉の意味を解せなかった。けれど、彼女の答えは決まっている。
「うん、千聖君がお粥を食べてくれるのならいいよ」
 交換条件だね、と肯いたとき、千聖の口角が微かに上がったのを真奈美は見逃さなかった。
 ……嫌な予感がする。
 脳裏を過ぎったその考えは、杞憂などではなく、
「じゃあ、口移しをしてくれ」
 すぐさま確信へと変わった。
「…………へ?」
 思考の停止がそのまま間抜けな声として出る。けれど、千聖は気にする素振りも見せず言葉を続けた。
「レンゲなど必要ない。お前の口から欲しい」
「な、な、何を…!?」
「そういえば、今日の接吻もまだだろう?」
「……あのね、千聖君?」
「心配するな、お前に風邪は移さない」
「そ、そうじゃなく――っ!」
 真奈美の反論は、千聖の口唇によって塞がれ、そのまま儚く消えた。

 形勢逆転。
 腹を括ったら、どうやら彼の方が一枚上手らしい。





 キス魔千聖、降臨(笑)
 千聖の部屋って畳なんですよね。ソファも普通にあるので、ベッドか布団か分からんかった…。


 2009.5.10.up