*冬、願いを込める


 年を越して、数日経ったある日の午後。真奈美はとある場所へと小走りに向かっていた。
「もう少し厚着をすれば良かったかな」
 外気の肌寒さに、少しだけ身を縮めながら一人呟く。
 けれど、待ち合わせの時間も迫っていることもあって、引き返すことはできなかった。
 それは、遡ること数時間前。
『センセちゃん、あけおめ〜!』
 電話越しに聴こえる悟郎の明るい声から始まった。
「あ、風門寺先生、明けましておめでとうございます!」
『今年もよろしくね!』
「こちらこそ宜しくお願いします」
『でさ、突然で悪いんだけど、センセちゃんこれから時間ある?』
「あ、はい。今ちょうど補習の準備も終わったところで…」
『もしかして、冬休み中はほとんど参考書と睨めっこしてた?』
「……うっ」
 図星を指され、真奈美は小さく唸った。
『それじゃあ、ボクたちと出掛けよ! 家にこもってたなら尚更!』
「ええ? それは嬉しいですけど、どこに?」
『もっちろん、初詣だよ♪』
「あ…」
『ん? その言い方だと行ってないよね?』
「は、はい。そういえば」
『じゃ、決定だね〜!』
 悟郎が電話の向こうで朗らかに笑う。
『あとね、ツバサがやりたいことあるんだって』
 最後に小さい声で囁かれた言葉に首を傾げつつも、真奈美はその誘いに二つ返事でかえしたのだった。


 ――そして、現在に至る。
「お〜北森先生、こっちだこっち」
 待ち合わせ場所に指定された神社の前で、真奈美に向かって手を振る一の姿が目に入ったので、真奈美はそこへ駆け寄った。
「草薙先生、あ、皆さんも明けましておめでとうございます!」
「ああ、おめでとな」
「明けましておめでとうございます。今年も宜しく」
「うぃーッス!」
「…………ます…ぐぅ」
 真奈美の挨拶に、それぞれが言葉を返す。
「すみません、お待たせしちゃって」
「いや、まだ時間前だぜ。つーか翼と悟郎が遅刻」
「あ、そういえばお二人の姿がありませんね」
「大体予想はつくが、風門寺の準備に手間取っているらしい。真壁はその付き添いだ」
「準備?」
「厚化粧とかじゃねェーノ? バカナナと同じでェ」
 瞬の言葉に真奈美が首を傾げると、後ろで清春が特徴的な口調で茶化す。
「うるさい、殺すぞ猿」
「キシシ、できるモンならやってみナァ〜?」
「貴様っ!!」
 そして、人目を気にせず追いかけっこを始める二人。
 新年を迎えたものの、彼らの変わらぬやり取りに真奈美は笑みを浮かべた。
「…………ぐぅ」
「わわ、斑目先生! こんなところで寝たら洒落になりませんよ!」
 いくら街中と言っても、やはり寒さの中で眠ってしまうことに危険を感じたので注意してみるも、当の本人は船を漕いだままで。
 しかし、街中で眠ってしまうこと自体おかしいということを真奈美は失念してしまっている。
「くけー」
「あ、トゲーも明けましておめでとう」
「くーけくけ〜」
「今年もよろしくね」
「クッケー!」
「ふふ」
 瑞希の肩に乗ったトゲーとほのぼのと会話を続けていると、背後から聴き慣れた声が響いた。
「はぁーい、皆おっまたせ〜」
「…わぁ!」
 悟郎の声に振り向いた真奈美は、その姿に感嘆の声を漏らした。
「ケッ! おっせぇーゾ、ゴロウ」
「ごめんねぇ〜着付けにポペラ手間取っちゃってさ」
 悪態をつく清春を笑顔でかわし、振袖姿の悟郎が輪の中に入る。蜜色の長い髪をアップスタイルにし、真紅の着物に身を包んだ彼の姿は、いつも以上に艶やかだった。
「キレイです、風門寺先生!」
「ありがと♪ なんならセンセちゃんも着てくれば良かったのに。見たかったなぁ〜センセちゃんの振袖」
「ええっ、無理ですよ。そんなすぐに用意できませんし……」
「じゃあ、今度これと色違いの買いに行く?」
「へ?」
「金さえ払うのならば、オレが作ってやらないこともない」
「うちだって、妹たちので良ければ貸してやるぜ」
「うう、でも着付けもできないですし、あっても宝の持ち腐れと言うか……」
「そんなのボクもそうだけど、人に頼めばいいじゃん」
「フン、うちの永田なら朝飯前だ」
 悟郎の後から現われた翼が今年最初の高笑いをする。その背後に「当然でございます」という声を聴いたような気がしたが、姿が見えないので真奈美は敢えて突っ込まないことにした。
「それに新任は今後も着る機会があるだろう?」
「え、今後…? うーん、今のところ予定はないですけど友だちの結婚式とかでしょうか?」
「いや、確か“シチゴサン”というEventでだ」
「それはとっくの昔に済んでます!!」
「What!?」
「あはは、ツバサのバカ発言は放っておくとして。何度着てもいいじゃない、減るモンでもないしさ」
「そうそう、女の子の着物って可愛いぜ。まぁ、一番は妹たちだけどな!」
「最高にBeautifulなのは、この真壁翼様だがな! ハーハッハッハ!!」
「……お前はオトコノコだろ、翼」
「なんにしても、馬子にも衣装ってナァ?」
「うっ、一部聞き捨てならない言葉もありましたが、一応考えておくことにします」
「機会と言えば、今年の卒業式で着るのもいいかもしれないな」
「あ、それ名案だねぇ!」
 瞬の言葉に悟郎が大きく頷く。
「確かに俺らのときも振袖の先生がいたよなぁ」
「センセはスーツだったけどね」
「ああ」
「そーだったかも、ナ」
 懐かしそうに共通の思い出に思いを馳せる彼らに、真奈美は憧れにも近い視線を送る。
 あと二ヶ月余りで、自分もその立場になるのだろうか。ちゃんと“なれる”のだろうか、と。
 希望の中に生まれる少しだけの不安。
 でも――。
「でも、まずは合格祈願ですね!」
「うん、そうだね。まぁ立ち話もアレだし、そろそろ行こっか」
「そうだな、なんか瑞希の顔色も悪くなってきたし」
「つーか、生きてンのかァ〜?」
「ええっ!?」
「……寒い……ぐぅ」
 慌てて真奈美が瑞希の顔を下から窺うと、先ほどよりも蒼白になり、相棒に頬を抓られながらも未だ眠り続けている彼の姿があった。


 三が日を過ぎているためか、境内には参拝客の数はそれほどなかった。
 これならばすぐにお参りできそうだと安心する真奈美の傍らで、並ぶのも醍醐味なんだけどね、と悟郎が微笑みながら言う。
「けどさ、長いこと並んでると瑞希が流されちまうんだよなぁ」
「後から探し出すのに苦労する」
 一と瞬のその語りように、真奈美もつい先刻のことを思い出して苦笑いを浮かべた。
 それから、すぐに参拝の順は廻ってきた。
 チャリーンチャリーン、と複数の賽銭の音が響いて消える。
 拍手の後、両手を合わせ、しばしの静寂が真奈美の周囲を包んだ。
 ゆっくりと目を閉じて。
(みんなが無事に合格できますように…)
 欲張りだとも思ったが、ClassZやA4と限定せずに全員の幸せを願う。
(そして――)
 できるのならば、もう一つだけ。


「これで目標達成ですね。今日は誘っていただいてありがとうございました」
「いいや、まだやり残したことがあるぞ」
 一通り神社を廻った後、頭を下げた真奈美に翼が首を振って答えた。
「え、そうでしたっけ?」
「ほら、ツバサが『やりたいこと』あるって言ったよね?」
 悟郎に耳打ちされ、そういえばと数時間前の彼の言葉を思い出す。
「新任、貴様にこれをやろう!」
「え? は、はい」
 無駄に格好いいポーズを決めながら、翼は懐から金色のぽち袋を出して、それを真奈美に渡した。
「あ、あの……これは?」
「お年玉だ! 聞いたぞ、新年を祝って子どもや目下の者にやるものなんだろう?」
「た、確かに目下ですけど! でも、もう子どもじゃありませんし、その前にこんな金ぴかのもの怖くて受け取れませんよ!」
「何、遠慮などいらん。有難く受け取るがいい」
「いや、だから無理です!」
「フッ、そんなに嬉しいのか。そうだろうそうだろう!」
「ですから〜〜〜!!」
 噛みあわない翼との会話に、言葉が追いつかなって真奈美は脱力した。それを見ていた悟郎と一がすかさずフォローを入れる。
「大丈夫だよ、センセちゃん」
「金なんて入れたら、翼も加減しないだろうし、何より北森先生が受け取ってくれないだろうと思ったからさ、ちゃんと別のにしといたんだぜ」
「え、そうなんですか?」
「うん、ボクの手作りなんだから」
「分かったのならば受け取れ、新任」
「うう、気を遣っていただいてすみません。でも嬉しいです、ありがとうございます」
「礼なんて必要ない」
「そうそう、俺たちの気持ちだって」
「あ、あの、中を見てもいいですか?」
「もっちろん♪」
「キシシッ、早く開けてみろってーの」
 促され、目に痛い色の袋の中を覗く。そこから現れたのは薄く束になった小さな紙だった。
「え、これは…」
「……『主に瞬が荷物持ちをしてくれる券』、12枚入り……」
「へ?」
「な、何!?」
「あ、呼ばれれば俺もするからな、荷物持ち」
「ボクだって、この細い腕で持ってあげるからね♪」
「は、はぁ…」
「いや、というか待て。中身は、お得クーポン12枚入りじゃなかったのか!?」
「ワッリーなァ、それは俺様が言った嘘だぜェ」
「なんだと!? それなら北森先生用にオレが集めたクーポンは……貴様に渡したあのクーポンはどこにやった!!?」
「ん〜そんなモン知らねーなァ? 全〜部使っちまったかも、ケケッ」
「仙道……貴様ァァーーー!!!」
 真奈美の脳裏に、彼らの第二回戦の開始を告げるゴングが鳴り響く。
「ったく、懲りないよねぇ」
「元気だよなぁ」
「あはは……」
「クケー!」
 呼ばれたような気がして振り返ると、瑞希の掌に乗ったトゲーが更に小さな紙切れを振り回しているのが見えた。
「あれ、トゲーもクーポンを持ってるの?」
「……それ、北森先生にあげる……って」
「え、トゲーからもですか? いいのかな、貰っちゃって」
「……うん」
「それじゃあ、遠慮なくいただきます。ありがとう、トゲー」
「くけけ〜」
「ん〜、なんて書いてあるんだろう? 小さいし、手形だから読めない……」
「……特別マッサージ券、だって」
「わぁ、ありがとうございます」
「……良かったね、北森先生」
「はい! お年玉なんてちょっと照れくさいですけど、本当に嬉しいです」
「……そっか」
 大切そうにぽち袋や券の束を手に包む真奈美を見て、瑞希はゆっくりと目を細めた。
「ね、ね、センセちゃん。これから絵馬に願いごと書かない?」
「屋台の飯も美味そうだぜ」
「新任、今から“オミクジ”というものをCompleteするぞ!」
「罰ゲーム有りの羽根突き、やるよなァ? クシャ」
「それよりも貴様はオレに弁償しろォォーー!!」
「……やっぱり、眠い……ぐぅ」
 乾いた空気にそれぞれの声が(一人を除き)高らかに響く。
 全員に視線を配り、真奈美は先ほどしたもう一つの願いを反芻した。

(そして、この絆をずっと大切にしたい)

 冬、小さな願いが胸の内から生まれた。そんな季節だった。





 B6全員登場です。相変わらず長い上にまとまりがなくて申し訳ありません…。

 一応このあとに短めの追加SSが続きます。興味のある方は最後までお付き合いくださいませ。
 ありがとうございました!


 2009.8.5.up