*五年前の自分に贈るyell


 放課後、ClassZの教室に二つの影があった。
 このクラスの生徒で、A4と呼ばれる阿呆集団のリーダーでもある成宮天十郎が机に片肘をつき、目の前に座る眼鏡の男を不満そうに睨みつけている。
 対する眼鏡の男――特別講師、真壁翼も腕と足を組み、尊大な態度を崩すことなく、天十郎を見下し…否、見据えていた。
 机の上には現代文や古文の教科書がどれも開くことなく散在している。
 二人の間に流れる空気は明らかに重く、沈黙が長い間続いていた。
 これが彼らにとって初めての補習だった。

 翼は、天十郎を無理矢理ここまで連れてきた経緯を振り返った。
 逃げ足の速さだけはまさに天下一品と評するべきか、終礼が終わるのと同時に担任の制止も無視し、一目散に廊下を駆け抜けた天十郎の姿を見て、補習のために教室の前に待機していた翼は「ほう…」と感嘆の声を漏らした。
 数秒後、天十郎を追いかけようと教室を飛び出した真奈美を片手で制し、翼は自身の携帯を取り出す。
 足の早さなど敵わなくとも、彼には組織という力があった。鼠一匹追い詰めるなど、いともたやすい。
 結果、ささやかな時間と労力を要したものの、友人たちの協力も得、翼は見事問題児の捕獲に成功したのである。
 そのときに自分に対して発した天十郎の第一声が鮮明に甦る。
「ここまで追ってくるたぁ、すげぇなオメェ! 嫁捜しサポート部隊の一員になりたいってぇなら、いつでも歓迎するぜぇ!」
 この少年、過去の自分のように教師を買収こそしなかったが、悪びれもなく、けろっとした態度でこんなことを言い出したのだ。
 その反応に、流石の翼もやや閉口したが、同時に面白いやつだとも思った。
 だが、補習から逃げ出したことを許す義理はないと、やや強引に教室まで引き摺り戻したのが、つい先刻である。
 真奈美には他の生徒の捕獲を任せたため、教室には翼と天十郎の二人しかいなかった。
「けっ、オメェもうちの担任と一緒で俺様の邪魔をしやがるんだな」
 永遠に続くとも思われた静寂を破ったのは天十郎の方だった。
 その声に、翼は現実に意識を戻す。膨れっ面が、未だに自分を睨んでいた。
「それが仕事だからな」
「でも、本職はシャチョーなんだろ? オメェはなんでここに来たんでぇ」
 天十郎は、彼にとっては何気なく、本来教師ではない翼が聖帝に身を置いている理由を問うた。
 周囲の人間も言葉には出さないものの、疑問に思っている者は多くいるだろう。
「フン、お前のような阿呆が知ることではない」
 しかし、翼は天十郎への視線を逸らすことなく、やや皮肉を込めて返すのみだった。
 その言葉に、天十郎は不満げに舌打ちを漏らす。
「だが、いつか分かるときが来るかもしれん」
「ああ? どういう意味でぇ?」
 目の前の男の真意を解せず、天十郎は眉を顰める。
「成宮、お前は聖帝が好きか?」
「あ?」
 唐突に問われ、天十郎は眉間の皺を深くした。やはり、翼の意図が読み取れない。
「この学園が好きか、と訊いている」
「けっ、まだ来たばっかの学校に愛着なんか持てるかってぇんだ」
 無愛想に言い放たれた少年の言葉に、その言い分も尤もだと、翼は心の中で呟いた。
 それに加え、天十郎はこれまでに13もの学校を追放されてきたらしい。学園に対しての思いは、普通の者のそれよりも大分薄いのかもしれない。
「フン、訊ね方がいけなかったようだな。……では、お前はこの学園にいる者が好きか?」
 赤い瞳が、天十郎を更に見据える。
「友人たちは好きか?」
 翼の問いに、天十郎は自身の口を噤んだ。翼もただ黙って、その答えを待つ。
 暫しの沈黙が二人の包んだが、それを天十郎が破った。
「…………あったりめぇよ」
 ややぶっきら棒に返された言葉は控えめで小さいものだったが、その声は翼の耳にちゃんと届いた。翼は満足そうに頷くと、自身の口角をゆっくりと上げる。
「つまりは、そういうことだ」
「はぁ?」
 意味が分からないと再び眉を顰め、不満を口にする天十郎を余所に、翼は不敵な笑みを浮かべたままでいる。その態度が、天十郎を更に不機嫌にさせた。
 だが、翼は確信していた。
 天十郎は変わる。そして、きっと掛けがえのないものを得るだろう。
 ――そう、あのときの自分のように。
「この一年を存分に楽しめよ、少年」
 だから、その言葉を贈った。
 生意気そうに自分を睨んでいる五年前の真壁翼に向けて。





 翼に最後のひと言を言わせたかっただけのSSです(笑)
 B6たちの活躍も楽しみの一つですね。


 2009.3.18.up