*近い未来に 「ね〜真奈美〜」 耳元に那智の甘い声が届く。かかる息のくすぐったさに、真奈美は身動ごうとするが、後ろから腕を回す那智はそれさえも許してはくれなかった。 むしろ、彼女を抱きしめる力を更に強める。 「どうしたの、那智君?」 その腕から逃れられそうにないと観念した真奈美は、甘えん坊の仔猫のように頬を摺り寄せてくる恋人に問いかけた。そこから返ってきたのはこんな声。 「近い未来、お前は“方丈真奈美”になってくれるんだよね〜?」 ちょっと聞きなれない名前に、僅かな時間思考が停止する。けれど、“それ”を理解したとき今度は体温が急上昇していくのを自覚した。 「あれ〜、熱出てきちゃったかな?」 お互いの表情は窺えないものの、触れ合っているところの変化を敏感に察した那智は、真奈美にそんな言葉を掛ける。 「〜〜〜っ!!」 「ん、言葉にならない声ってやつ? 照れちゃって可愛い〜」 「ち、違いますっ!」 「あっ、怒ってたのか。でも、やっぱり可愛い〜」 いつものように真奈美をからかって楽しむ那智。けれど、今回はそれだけでは満足しない。 「でさ、答えはどうなの?」 囁かれた声に先刻までの茶化すような色はなく、やはり表情を見ることはできないが、どこか深く鋭いものを感じた。 「えっと、その……そうなれたら嬉しいなって思うよ」 まだ冷めぬ頬の火照りを悟られないように、真奈美は少しだけ顔を逸らしながら答えた。 那智と付き合って、そして一緒に暮らすようになって、もうどれくらい経っただろうと、部屋をゆっくりと見回して思う。 暮らし始めて一年は真奈美だけのものだったこの空間も、今では那智と共に過ごした時間の方が長くなっていた。 だからだろうか、この部屋で一人きりになると違和を感じるときがある。そして、それと同じくらい自分の隣にも那智という存在はなくてはならないものになっていることに気づく。 彼が学生である内は、あまり具体的なことは考えないようにしていたけれど、那智の言う未来にも自分が隣にいられたら、どんなに幸せだろうか。それが真奈美の素直な想いだった。 「ふふっ、そっか〜」 小さく笑った後、那智は回した腕を一瞬だけ緩めるも、今度は何かを噛み締めるように少しずつ力を込めて抱きしめた。 「ま、おれは今の生活も結構気に入ってるんだけどな」 「うん、私もだよ」 「ただ、ここにいると……正直、あいつらがウザイ。心底ウザイ」 「あいつら?」 尋ねられ、那智はゆっくりと真奈美から片腕を離し、何も言わずにフローリングの床をコツコツと音を立ててつついた。階下に住む者たちの顔が真奈美の脳裏を過ぎる。 「追い出すことも考えたけど、どうせならあいつらが捜し出せないとこにでも行ってやろうかなって思ってさ。そしたら、次に住むとこのネームプレートって“方丈”になるのかなとか思ったら、ちょっと面白くなった」 「へぇ、那智君って想像力豊かなんだね」 「それ嫌味かよ? おれだって色々妄想するんだぜ、お前関係のことは特に……って痛ぇ!」 反射的に肘で那智の胸を突いてしまったため、耳元で囁かれた艶っぽい声がちょっと間抜けな悲鳴に変わる。 「っつー…肘鉄ってお前なぁ?」 「那智君が変なこと言うからいけないの」 「いいじゃん、健全な男子ってことで」 「全然よくない!」 「……ったく、今日もいじめてやろうかと思ったけど、予定変更だな」 「そんなの当たり前――って、きゃ!」 いきなり横倒しにされて、真奈美は小さく悲鳴を上げた。那智は回した腕を離し、彼女を仰向けにしてから、その上に覆い被さった。そして真奈美を見下ろし、笑顔を向けてこう告げる。 「予定変更。時間も早めるし、二割増しにしてやる」 「ちょ、ちょっと那智君!」 「あはは、そんな顔してもダ〜メ。ってか、むしろ大好物だし」 「こらっ、どいてってば! それに今日はお昼から出掛ける約束してたでしょ!」 「少しくらい遅れたっていいじゃん。あんまり喚くと口塞ぐぞ〜?」 「うっ……」 「ふふっ、それにしても……“方丈真奈美”、かぁ」 真奈美との距離を縮めたのにも拘らず、那智は少しだけ遠くを見詰めるように呟く。瞳の奥に未来の自分たちの姿を映しているのかもしれないと真奈美は思った。 「……う〜ん、半分嬉しいけど、半分はムカつくな」 「…え、どうして?」 「だって、一見するとお前が慧と結婚したみたいじゃん」 「……へ? なんで慧君の名前が出てくるの?」 「おいおい、忘れたのかよ。兄さんだって“方丈”なんだぜ?」 「それくらい覚えてます!」 「じゃあ分かるだろ? おれと真奈美のことを知らない学園の奴とかが苗字聞いて、慧と付き合ってたって一人でも誤解したらどうするんだよ。……あー、ムカつく。そんな奴がいたら絶対消してやる」 「こら、怖いこと言わないの! それに那智君は前から無駄に勘繰りすぎ!」 「あ、いいこと思いついた。もし結婚したらさ、“方丈那智真奈美”とかに改名しない? お〜結構イケてるんじゃね?」 「イケてないってば! それに、何よ、そのミドルネームみたいなのは!」 「ん〜、それともおれが“北森那智”になればいいのか? うん、それもアリかもな〜」 「話を聞きなさい!」 「やだ〜」 「というか、その前にどいて!」 「あはは、それも却下〜」 必死の抵抗空しく、真奈美の口は那智によって塞がれる。 変な名前に変えられてしまうくらいなら今のままでいいかもしれないと、大好きな人の体温を感じながら真奈美は自分の未来を少しだけ案じた。 プロポーズかと思いきや、全く違う方向に暴走する那智ですみません(笑) ちなみにイケメンマンションを出る場合はもちろん慧も道連れにするだろうと思います。ま、当分出ないで欲しいけど(笑) 2009.4.22.up |