*けっこんしようか*


約一年ぶりに会った女性は、出会った頃と変わらず可愛らしかった。
高校時代に恋した時と変わらず柔らかな春の日差しのような笑顔を浮かべ、おっとりと楽しげに微笑む。
男からすると庇護欲が掻き立てられる華奢な体躯と幼げな容姿の持ち主だが、その芯が誰よりも強いのはよく知っていた。

出会いは十年前に遡り、今でも瞼を閉じれば鮮やかに記憶は蘇る。
透明な色の無い音しか奏でれなかった天宮のピアノに、初めての色をつけたのは彼女だった。
『君に恋をする』なんて、今考えれば笑ってしまうくらいに滑稽な言い草だ。
恋はしようと思ってするものではなく、いつの間にか落ちているもの。
自分を作る余裕も無くて、全てを捨てて必死になれる。
苦しくて切なくて悲しくて哀しい。
嬉しくて幸せで恋しくて希う。
複雑な矛盾が入り混じり、そして一直線にただ一人に向かう。
形振りなんて構ってられない。格好悪くても後悔したくない。
───それが、高校時代に天宮が体験した唯一で最高の恋だ。

あれから時は流れて、天宮はピアニストになり彼女もヴァイオリニストとなった。
新進気鋭と呼ばれていても、まだ駆け出しにしか過ぎず、二人は世界を回っている。
四季折々のメッセージカードと、繰り返されるメールや手紙。
そしてたまに我慢できなくなってする電話だけが彼ら二人の繋がりだった。

願掛けをしていたのだ。十年間も、辛抱強く。
馬鹿みたいだと人に話せば笑われるだろうけど、決意を覆さない程度に覚悟は決めていた。
そして今日は天宮が願掛けした十年を過ぎた一日目だった。

「久しぶりだね。元気にしてた?」
「はい!天宮さんこそ。手紙やメールで元気にしてるのは知っていたけど、久しぶりに会えて嬉しいです」
「僕も嬉しい。───一年ぶり、くらいだっけ」
「はい。仕事でも擦れ違うときは擦れ違うものですね。一昨年は何度も重なったのに」

不思議そうに首を傾げる彼女は知らないだろう。天宮が敢えてかなでとの仕事を断り続けていたのを。
時間が欲しかったのだ。自分ではなく、彼女に。

予約したレストランのVIPルームでワインを傾けた天宮は、ミステリアスな笑顔を浮かべる。
彼と腐れ縁の幼馴染が見たなら眉間の皺を深くし、『何を企んでいる』と即効で問い詰めただろうが、彼とは違うかなでは笑顔を返した。
無邪気な様子は年を感じさせず、少女のまま大人になったと表現するに相応しい。
きっと今から十年後も、かなでは変わらずこうなのだろう。想像すると胸の奥がほっこりと温かくなり自然と口元が緩む。
後にも先にもこんなに容易に天宮の感情を上下させる存在など、彼女だけに違いない。

そしてその先を永遠にするため、天宮は口火を切った。

「実はね、今日は報告したいことがあるんだ」
「報告・・・ですか?」

大きな目を瞬かせたかなでは、じっと天宮を見詰める。
彼女の背中越しには宝石箱をひっくり返したような夜景が広がっていた。
予定通りに二人きりの空間。自分で計画したのに、急に二人きりの空間が息苦しく感じネクタイを緩めたい衝動に駆られる。
だがドレスコードが必須のレストランでそれはマナー違反と骨身に渡り知っているので、その衝動は何とか堪えた。
視線を改めてかなでに向けると、たった今気づいたのだが彼女のドレスは高校時代を髣髴とさせる白い可憐なものだった。
食事を取る一時間。その間そんな些細な事にすら気づかなかった自分は余程緊張していたらしい。
こっそりとスーツのポケットを探り、目的のものに指を触れる。伝わる感触はひんやりとしていて、らしくなく緊張している自分に苦笑した。

「僕はね、結婚しようと思うんだ」
「え?」

まん丸に目を見開いたかなでは、天宮をじっと見詰める。
その瞳の中に何か感情が無いかと素早く探るが、驚き以外の何も見つけられない。

「天宮さんが、結婚、ですか?」
「そう」
「好きな人がいるんですか?」
「うん。もう、ずっと長い間ね」
「天宮さんが、片思い?」
「そうだよ。この僕が、片思い」

情けなく眉が下がる。辛うじて笑顔は浮かべているが、心配そう眉が顰められたかなでの顔を見るに、その表情は失敗してるらしい。
どうやら、自分で思うより、ずっとずっと落胆している。
一年も会うのを我慢したのに。抱きしめて自分の物にしたくて、でもそんな欲求も押し殺して。

会わなければ、何か変わると思っていた。
寂しいと思ってくれると、どうしてそう思うか考えてくれると、そしてあわよくば、それを恋愛感情と勘違いしてくれればと。
馬鹿みたいだ。子供より稚拙で愚かであさはかな望み。
でも希望を捨てるのは出来なかった。今だって、傷つく自分を見て痛そうに泣きそうな顔をしてるかなでに期待してしまってる。

すっと胸に一杯息を吸い込み、十数えながらゆっくりと吐き出した。
緊張を和らげる方法は、昔目の前の彼女に教わったものだ。
プロとして初めて共に舞台に立ったとき、内緒の魔法ですとこっそりと耳打ちしてくれた。
天宮よりも、自分の方が余程青い顔をしていたのに。
思い出し小さく笑うと、真っ直ぐにかなでを見詰める。
どうせ断られても諦める気なんて欠片もないのだ。よく考えたら当たって砕けても失うものはなにもない。

「僕は、結婚します」
「・・・はい」
「だからさ、小日向さん」
「はい」
「天宮かなでになってくれる?」
「はい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

するりと返事を返した彼女は、暫く間を空けた後、ぽかんと口を開いて大きな目を更に大きくした。
可愛らしい子リスのような表情だが、その言質を逃がすつもりは無い。
先ほどまでのしおらしい表情はさっぱりと捨て、天宮はにこにこ微笑んだ。

「じゃあ、決まりね。式はいつにする?」
「は、え?」
「月並みだけど、六月はどう?日本は梅雨時かもしれないけど、海外なら晴れてるとこ多いし。ドレスは絶対に白は入れて欲しいな。お色直しは淡い菜の花色とか、浅黄色とかも似合いそう」
「え、ええと」
「君にはマーメイドラインよりもプリンセスラインの方が似合いそうだよね。ヴェールは絶対に必須。サムシングフォーも用意するから幸せな花嫁になれるよ」
「ちょ、待っ」
「花嫁付き添いはやっぱり枝織ちゃん?招待客は誰にしようか。ああ、冥加は絶対に呼ぼうね。花嫁姿の君を見たときの顔が見たいから」
「ちょ、天宮さん!」

怒涛と零れる言葉を止めるべく焦ったようにかなでが声を張り上げる。
その慌てぶりに漸く現状を理解してくれたらしいと、にっこり天宮は微笑んだ。
今やかなでの頬は桜色に染まり、可愛らしいことこの上ない。

「あの、天宮さん。お話を聞いてると、まるで私が結婚するみたいに聞こえるんですけど」
「そうだよ?僕は君にプロポーズしたんだから」
「でも!さっきずっと片思いしてたって」
「うん。高校時代から、ずっと君に片思いしてる。僕の音はいつだって君に捧げられたのに、君は少しも気づいてくれないんだもの」
「高校時代から!?だってもう、十年経ってますよ?」
「そう。長い、ながーい片思い。案外一途でしょ」
「はい。・・・って、そうじゃなくて!何で十年も経ってからプロポーズするんですか」
「十年前に願掛けしたから。十年後も君を好きで居るなら、君が一人で居るなら、結婚を申し込もうって。───馬鹿みたいかもしれないけど、永遠を信じたかったんだ。十年間、想いの形が変わらなければ、君が誰を好きでも、僕は君を好きで居られると思ったから」
「私がその間に誰かを好きになるかもしれないのに?」
「うん。君に近づく男は粗方排除してきたけど、でも、君が好きになった男なら諦めれなくても納得できるかと思ったから」

本当はそんな甘い考えは微塵に吹き飛んでしまうほど、嫉妬していただろうけど。
そんな思いは欠片も見せずに、言葉を放つにつれ赤く染まる頬を楽しげに眺める。
もしかしたら、と僅かな期待が胸に沸く。
もしかしたら、かなでも自分を少しは好いてくれているのではないか、と。

「でも、いきなりプロポーズは」
「駄目?」
「だって、告白もされてないのに」

その言葉にゆっくりと席を立つと、眉を八の字にしたかなでの傍で足を止めた。
床に膝をつき白く滑らかな掌を両手で恭しく包み込むと、そのままこつりと己の額に当てる。

「好きです。十年前からずっと、君の事が好きです。ずっと君に恋してきた。そして今では愛してる。この感情は一時的なものなんて甘いものじゃない。ここで君が頷いたら、僕は一生君を束縛する。他の誰にもあげないし、ずっとずっと独占する」

祈るような気持ちで顔を上げ、こちらを見ている琥珀色の瞳に微笑みかけた。

「この想いはきっと重たいね。自分でも判ってる。でも、どうかお願い。僕の、お嫁さんになってください」

ポケットから探り出した指輪を彼女へと掲げる。
取ったままの左手に近づけると、軽く握られていたはずの手がゆるりと解けた。

ダイヤではなくピジョンブラッドの紅玉を嵌めた指輪は、彼女の白い指に良く映える。
この指輪の石言葉は『情熱』。褪せぬ想いをそのまま篭めた指輪は、誂えたようにかなでの指に嵌った。

「返事は、イエスでいいのかな?」
「・・・・・・」

真っ赤に染まった顔を俯ける彼女に、天宮は晴れやかに笑った。
立ち上がりぎゅうぎゅうと抱きしめれば、苦しいです、と小さな声が非難するように上げられる。
だがそれでも腕の力は弱められず、代わりにまろやかな頬に頬をすり合わせた。

「いいの?撤回は利かないよ?」
「はい。───私、鈍くてごめんなさい。天宮さんの気持ちにも、自分の気持ちにも。天宮さんが結婚すると聞いて哀しかった。私にずっと片思いしててくれたって聞いて嬉しかった。この人は、私のものだって思っちゃいました。これって、恋ですか?」
「それを僕に聞くの?僕は、僕に都合のいい言葉しか返さないよ」
「はい。都合のいい言葉を返してください。私は、天宮さんの言葉を信じます」
「そう。なら、答えてあげる。君のそれは『恋』だよ。僕を独占したくてたまらないって、心が叫んでるんだ」

柔らかな髪に鼻先を埋め、甘い香を胸に吸い込む。
本当は、それを恋と断言すべきではないと知っていて、天宮は敢えて黙殺した。
かなでの感情は雛が親鳥を慕う感情と同じかもしれない。兄に似た人を独占したいと望む子供っぽい想いかもしれない。
だがそれでも敢えて断言したのは、もう逃がす気がないからだ。

「僕と結婚してくれますか?」
「私でよければ」
「君がいいんだ」

細い体は小柄な天宮が抱きしめても腕が余る。
華奢な彼女が愛しくて、益々笑顔が深まった。

「もう逃がしてあげないよ」

その想いが、重ならなくとも構わない。
漸く天宮を男として見てくれた。ならそれを刷り込んでいけばいい。
かなでの感情が自分に追いつくことはないと天宮は確信している。
だから、その何十分の一でもいいから想いを返してくれるだけで幸せだった。

「結婚しよう」

もう一度囁くと、くすぐったげに首を竦めた彼女は今度は躊躇なく頷いた。
それがとても嬉しくて、天宮も笑みを深くした。





 「I wish」の国高ユウチさまからいただきました、天かなのプロポーズ話です♪
 ユウチさまの描かれる天宮が格好良くてキュンキュンしてしまいます!
 かなでちゃんと末永くお幸せに〜v
 
 ユウチさま、素敵な小説をありがとうございましたv

 2010.8.21.up