*ぽっと胸に咲く花のよに*


「──それで?」


うんざりとした気分を隠さずに冥加は鋭い眼差しを送る。
だが敵もさるべき者。冥加の威嚇など何処吹く風でにこにこと微笑みながら席を立ち上がる気配もない。花の飾られた白いテーブルは四人掛けで、カラフルな妻の手作りランチョンマットはきっちりと望まれない異邦人の前にも置かれていた。
一輪挿しには彼が持ってきた咲き誇る寸前の薔薇の花。何の記念日でもないのに当たり前にこんな気障な真似が出来る男は、昔と変わらず優雅な笑みを浮かべた。


「どうしてお前が此処に居るんだ?」


牙を剥き出しにした獣のように、低く唸るようにして声を出す。しかし長く付き合いがある男──天宮は微笑を崩すことなく首を傾げた。いい年をした男がする仕草ではないのに、それがまた違和感がないのに違和感がある。
背筋を駆け上る何かにじっとりと眉を寄せ首を振って意識を切り替えた。こいつは、こういう男だ。幼馴染として色々と忠告したいことはあるが、それも今更だろう。何を言ったところで人格改善が為されるとは思えない。
それに、天宮のこの何ともいえない雰囲気を好む女性が多いのも、彼が特定の相手を作らず蝶の様に飛び回っているのも知っていた。
彼が特定の相手を作らない原因を、はっきりと言葉で確認したことはないが薄々と感づいている冥加は、それを指摘して藪から蛇を出す真似はしたくないのでそれについては言及しないことにしている。
それについて言及する気は一切ないが、気が向けば襲撃するように家庭に押し入るこの男にその図々しさの源は何処から来ているのかは是非とも聞いておきたいところだった。
何故なら。


「どうして、俺の娘がお前の膝の上に居るんだ」


満面笑顔の天宮の膝の上には、ちょこりと行儀良く座る娘の姿。今年で四歳になる娘は、妻そっくりの愛くるしい顔を笑顔で染め上げ上機嫌に大人しく収まっている。
妻に似て誰にでも人見知りせずに懐く子供だが、良く遊びに来てしかも優しく表情の柔らかな天宮とは特に仲がいい気がした。現に伸ばしたツインテールに結ばれているリボンは、欧州の遠征で彼が土産として買ってきた一品である。リボンを手にして零れんばかりの喜びを交え、彼の頬にキスした娘を見たときの衝撃を忘れることはない。
天宮に説教したのはもちろん、娘の教育について夜遅くまで妻と語り合ったのは記憶に新しい。ちなみに危機管理能力に薄い妻は、冥加の訴えも苦笑して真剣に取り合わなかった。未だに納得いっていない。
理事の仕事をしているとき以上に厳しい目つきの冥加を見て肩を竦めた天宮は。
にこりと笑って爆弾発言をした。


「だって」

「この子、大きくなったら僕のお嫁さんになるんだって」


可愛いよね。

嘯きながら悪びれずにきゃーきゃーとはしゃぐ娘を抱きしめた天宮は、もう人在らざる者にしか見えなかった。

(知らなかった。この男はロリコンか?ロリコンなのか?大事な娘が歯牙に掛けられた。信じられん。だからあの時かなでにも強く言ったんだ。危機管理能力のなさは遺伝するものなのか。ならば何故学会はそれを発表しない?お陰で俺の娘があらん男の毒牙に掛かった)

物凄い勢いで脳みそが回転し、無表情ながらもこの上なく追い詰められる。だらだらと冷や汗が流れ留まることを知らない。こんなに嫌な汗を掻いたのは、かなでにプロポーズしたとき以来だ。
膝の上で握り締めた拳に爪が食い込み、歪む視界に眩暈がした。




出来上がった料理をお盆に乗せリビングへ入ったかなでは、異様な空気を発し固まる夫を見つけ目を丸くする。
背負う空気は鈍いと言われるかなでにすら見えるくらいに暗くおどろおどろしい。青ざめた顔は血の気が失せ、噛み締めた唇から血が滲んでいる。まるで般若の仮面のような顔をした夫に首を傾げ──原因を知っていそうな友人に顔を向けた。


「静さん?」
「何?」
「──どうして、玲士君はこんな顔で固まってるの?」


その質問に、高校時代からの友人は変わらぬ優美な笑みを浮かべて。


「ああ。この子が僕のお嫁さんになりたいと言ってたのを教えてあげただけなんだけど」
「・・・ああ、そういうこと」


ふふっと笑う彼に向かってかなでも苦笑する。
彼の膝の上でご満悦な娘は、この状況を一切理解しておらず大好きなお兄ちゃんと、それ以上に大好きな父親との夕食会に上機嫌で料理を待っていた。
持っていた料理をさっさと並べながら状況を理解したかなでは、最早笑うしかない。
仕事の鬼と部下に恐れられる夫は、家に帰れば娘が可愛いただの父親だ。高校時代よりも格段に増えた笑顔はかなでと娘を幸せな気持ちにしてくれるが、それと同時に過保護な彼には苦笑いしか浮かばない。
しかも本人はその気はなく、全くの無意識だから性質が悪い。柔らかい言い回しで告げても『危機管理能力がなっていない』と高校生時代から振り返る事になるので最近では素直に聞き手に徹している。

娘の髪を撫でながら笑う天宮の顔は、どうみても本気で嫁にとる気はなさそうだ。むしろ、特定の相手を作らないと噂の彼には、大本命が居るのではないかとかなでは睨んでいる。
少なくとも冥加が心配するような事態は欠片もないと思うのだが。
ちらり、と未だに硬直している夫に視線をやるとくすくす笑った。


「ねえ、ママ」
「うん?」
「どうしてパパはこわいおかおでうごかないのー?」
「・・・パパは悪い魔法使いに魔法に掛けられちゃったの。魔法を解く方法、覚えてる?」
「うん!おひめさまのちゅーだよ!」


にこっと微笑んだ娘は、天宮の膝の上から飛び降りると冥加の膝に乗り上げ、ちゅっと可愛いリップ音を立て頬に口付けた。その瞬間、はっと我に返ったらしい冥加は間近に居る娘に気がつくと、まるで何かから護るようにぎゅっと抱きしめた。ちなみに視線は射殺すような鋭さで天宮に向かっている。
これで将来娘に彼氏が出来たとき、本当にどうなってしまうのだろうと今から心配だ。
いつか来る未来を想像し、お盆の影に隠れてふふふと笑った。




-お・ま・け-


ぎらぎらと睨みつける冥加を涼しい顔で眺めた天宮は、絵に描いたような暖かな家族にふんわりと微笑む。
昔を考えると信じられないくらいに丸くなった幼馴染は、いまや一児の父親であり可愛らしい妻を持つ夫でもある。独り身の天宮としてそれは羨ましい限りだが、自分が本当に欲するものはもう手に入らないのだと同時に理解していた。
どれだけの誰かが自分を愛してくれたとしても、自分が愛するのは目の前で春の日差しのように微笑むいつまでも少女のような人。
欠けていた何かを見つけるのも、埋めることが出来るのも、ただ一人の彼女だけでどれだけ似ていようと他の誰かでは満足できない。時折胸の奥を掠める寂寥感も、哀切も彼女が与えてくれるというだけで天宮に甘い感情を与える。
手放したくなかった。選んで欲しかった。自分を見て欲しかった。
それでも世界で唯一の僥倖を手に入れた幼馴染に対し、最後の最後で怨みきれないのは彼女が幸せそうに微笑んでいるから。優しく暖かなその笑みが、一度も曇ることがないから。

娘を抱きしめて怒りを露にする冥加に、天宮は羨ましさを隠せない。
冥加とて本気で自分が彼の娘を嫁にするなどと信じているわけではないだろうに、まるで針鼠の様に毛を逆立てて威嚇する姿は子供の時分よりも子供っぽく感情豊かだ。

ああ、本当に。幸せなんだな

泣きたくなる位に優しい家庭が此処にある。
零れそうになる涙を悟られないように微笑で隠し。


「お嬢さんを貰うことがあったら宜しくね、お義父さん」


何処かの漫画のように髪を金色に発光させ何かを打ち出しそうな幼馴染の男に、羨ましいの代わりに意地の悪い言葉を投げつけた。
怒り全開の冥加を見て、目を丸くした初恋の人。
その表情がやんわりと綻び愛して止まない微笑を浮かべるのを眺めた天宮の心には。


いつだって、枯れない心の花が、ぽっと優しく開くのだ。





 「I wish」の国高ユウチさまから引越しのお祝いとしていただきました♪
 ありがとうございます、ありがとうございます!!!
 娘愛で天宮に敵意剥き出しな冥加さんにキュン! 天宮の切ない想いにもキュンです!
 もうみんなまとめて幸せになっちゃえYO! 仲良く暮らしちゃえYO!!と(笑)
 冥加の心労が心配ですが、このときの彼は十分幸せ者なので大丈夫でしょう(笑)

 ユウチさん、本当にありがとうございました! 大好きです!!


 2010.4.15.up