*愛して*


■あ 呆れるほどに枯渇しない

ひらひらと小花模様のワンピースの裾を揺らしながら歩く少女は、何が楽しいのか知らないが始終笑顔でふらふら歩く。
興味のあるものを見つけては立ち止まり、じっと見詰めてまた笑う。
次から次へと対象を変えるその様はまるで蜜を吸う花を選ぶ蝶のようで、眺めていた東金の顔も緩んだ。
コンクールから数日経った夏の日差しの強い朝。
恋敵たちを出し抜いた東金は、一人かなでを連れ出した。
相方である土岐がいないため車でドライブとは行かないが、徒歩と電車も中々趣があっていい。
私服姿のかなでに合わせ自身も私服姿の東金は、強すぎる日差しを避けるためのサングラスを指で押し上げる。
モード系のファッションをしている所為か、それとも顔を隠すサングラスのお陰か。
擦れ違う人間は自分が誰だか気がついていないらしく、邪魔されずに過ごせる時間がありがたい。
何しろ普段は菩提樹寮に下宿するメンバーに、星奏学院のコンクールメンバーが常に付きまとっている状態なのだ。
二人きりで遠出など、快挙と呼んでもいい。
片手に持つバスケットの重みが、益々機嫌を上昇させた。

先日雑貨屋で見つけたんです、と報告をされたバスケットは、今回の遠出に一役買った。
それを使うためにピクニックに行こうかと誘えば、危機察知能力に疎いこの小動物はあっさりと頷く。
しかも、一緒に食べるためにお弁当用意しますね、なんて可愛らしい言葉を捧げて、まさしく鴨が葱を背負った状態でのこのこと近寄ってくる。
無防備な様子は自分に対するものなら許せるが、他の誰に対しても同じというのが最近の悩みの種だ。
今回は偶々自分が先んじたが、親友である土岐を始め気の抜けないライバル達を思い浮かべ苦笑した。


「おい、小日向」
「はい?何ですか、東金さん」


名を呼ぶ声に素直にこちらを振り向くかなでに、東金の目元が和む。
知らず緩む口元を叱咤しどうにか平静を保つと、ふわりと裾を翻したかなでと距離を詰めた。
と大きな瞳で東金の行動を見守るかなでにあっという間に近づくと片手に持つバスケットを掲げる。


「これの中身は何だ?」
「えっとですね・・・秘密です」


白く細い指を唇に当て悪戯っぽく微笑んだかなでに東金は動きを止める。
思わず口元を手で覆い、顔を俯けた。
何なのだろうか、この可愛らしい生き物は。
抱き潰してやろうかと内心で葛藤していると、唐突に無言になった東金が不機嫌になったとでも思ったらしく眉を下げて顔を覗き込んできた。
近づいてきたかなでに情けなくも動揺し、がっとバスケットを間に差し込む。
ちょうど顔が隠れて見えなくなったが、きょとりと瞬く表情が想像できて、そんな自分に苦笑した。

■い 言わぬが花と言うだろう

「弁当。お前が作ったのはなんでも美味いから楽しみだ」


ぶっきらぼうに響く己の声に、羞恥を感じたが鈍い少女にはそれは判らない。
何しろストレートに可愛い、気に入ったと言葉を惜しまずに告げているのに、『ありがとうございます』の一言でほえほえとかわしてしまう位なのだから。
その鈍さすら愛しく感じてしまうのだから、もう末期症状だと思う。
コンクールが始まる前の自分が見れば鼻を鳴らして笑うかもしれないが、東金は今の自分が嫌いではなかった。
かなでは咲き誇る大輪の薔薇のような派手で匂い立つ魅力の女ではない。
光を浴び凛と背筋を伸ばして咲く姿を目にすれば、こちらも知らず微笑んでしまうような、そんな穏やかな魅力に溢れていた。
それでいて健気で一生懸命なこの花は、舞台の上では一変し誰をも掠めさせる輝きを放つ。
そのギャップが堪らなく東金の狩猟本能を駆り立てた。

小日向かなでは常に進化し続ける。
出会った当初は到底自分の相手を務められる存在には見えなかった。
アンサンブルで耳にした音は悪くないが、花のない地味で味気ないもので感動するには程遠く、ライバルとして見ていた律に嫌味交じりで忠告してしまうほど、彼女の演奏は詰まらなかったのに。
今思うと、律は始めから全てを見通していたに違いない。
幼馴染である律は、他の面々と違いかなでの『本当の音』を知っていたのだろう。
そしてそれに賭けたのだ。
何らかの理由でステージを怖がるかなでが、本来の輝きを取り戻すことに。
悔しいけれど、律の采配は正確だった。

セミファイナルで破れてから、東金の目はそれまで以上にかなでに向かった。
成長速度が速く、素直で飲み込みの早いこの少女を手元に置きたくなったから。
土岐が口にしたように毎日部室で愛で、自分が教えれる全てを注ぎ、求める何もかもを与えてやりたくなった。
それは育てがいのある後進を、見つけた為だけの反応と思っていたのに。
そんな甘ったるい感情ではないと、すぐに悟る嵌めに陥ったのだけれど。
東金の行動に茶々を入れながら笑っていた親友は、きっと自分よりも敏感に感情が動く先を見据えていたのだろう。
穏やかな笑みの下で密かなる闘争心を燃やし、人と共にあることを厭う癖に独占したいと口にするほどなのだから。
思えば、セミファイナル前から兆候は見えていた。
海に行った時も傍に寄ったかなでを追い返すでもなく、饅頭を届けに行った時も何だかんだで隣に置いた。
本気の恋は嫌やと笑った彼は、仕方がないと淡く苦笑し己の感情を受け入れている。
身近なライバルは油断なく隙を伺っていて、彼以外の人数も考えると頭を抱えたくなるほどだ。

それでも全く手放す気になれない少女に、腕の中に閉じ込めて自分以外の何もかもから隔絶したい気持ちと、広い世界を見せてもっともっと飛んでみろと叫ぶ感情がせめぎあう。
結局のところ、自分の道をしっかりと自分で決めてしまうかなでには、その両方とも必要とされていないかもしれないけれど。
それが切なく、悔しいのだと訴えれば、どんな表情を見せるのだろうか。
自嘲の笑みを浮かべ、バスケットを顔の前からどかす。
東金の葛藤など全く知らぬかなでは、じっと大きな目を向けてきた。
不思議そうな眼差しを向けた少女は首を傾げて東金を眺め───ふいに、忙しなく目を瞬かせた。

■し 四六時中目が放せない

また何か興味があるものでも見つけたのだろうか。
東金を越して視線を遠くに向けるかなでの好奇心の強さに、くくっと喉を震わせる。
ぼんやりとしているようで、意外と活発なところも可愛いと囁きたくなる自分はどうかしている。
だがこの時さっさとかなでの前に体を乗り出し、視線を遮らなかったことを東金はすぐに後悔した。

ぱっと顔を輝かせたかなでは、ちょっと待っててくださいと笑うと駆け出した。
翻る小花模様のワンピースがひらひらと舞うのを見送って、辿り着いた先に渋面を晒す。


───冥加玲士


特徴的な白ランを着こなした青年は声をかけられ足を止めると、眉間に皺を刻み込んでかなでの到着を待った。
そんなに嫌ならさっさと去ねと心から望むが、東金の思惑とは裏腹に会話を始めた二人は動く気配を見せない。
一つため息を落とし、仕方なしに足を向けた。
音楽を挟んだ上なら冥加の相手も楽しいが、二人きりの時間を邪魔されては面白くない。
東金の想いにも気づかず、子犬のようにあどけない仕草を無防備に見せるかなでにも苛立ちは募った。
そんな自分の余裕のなさが気に障り、ふうっと一つ深呼吸する。


「こんにちは。制服姿ってことは、天音学園からの帰り?」
「・・・良く見ろ、小日向。そいつの向かってた方向は天音学園がある道だ。家がそっちにあるって言うならともかく、普通に考えれば今から向かうところだろう」
「東金さん」


かなでの背後から近づくと、まるで今気がついたと言わんばかりに冥加が目を細めた。
先ほどまで少女に向けていたものとは種類が違う、鋭いばかりの視線に哂う。
判りやすい態度は年相応の少年に見えて微笑ましいくらいだ。
自分の恋うる相手が関わらなければ高みの見物としゃれ込むところだが、残念ながらそこまで都合よくはいかないらしい。
バスケットを持っていない方の手でかなでを掴むと、ぐっと力を込めて引き寄せる。
小柄で華奢な少女は、あっさりと腕の中に納まった。
拘束するように手を前に回してしっかりと組む。
柔らかな髪に顎を乗せ、甘露のような薫りを吸い込むと漸く少しだけ落ち着いた。


「貴様、いきなり何をする」
「見て判らないなら、聞いても判らないだろうよ」
「・・・小日向を放せ」
「何で俺が冥加に命令されなくちゃならない?第一小日向は嫌がっていない」


事実、きょとんとして東金と冥加の舌戦を見守るかなでは、抗う素振りを一切見せない。
腕の中の細いけれど柔らかい体を満喫していると、不意に体が傾いた。
驚き目を瞬かせると小さく悲鳴を上げたかなでは、奪われて目の前の男の腕に収まるところだった。
あまりにもらしくない強引な態度に驚愕する。
まさかあの冥加がここまでするとは思っておらず、目を剥いた。
正面からかなでを抱き込んだ男は満足気に口角を上げると、腕の中の存在に顔を向ける。
もがいている姿に眉根を寄せ、ゆっくりと口を開いた。


「・・・何をしている」


苛立ちを隠さぬ声。
だが顔を上げたかなでを見て、その双眸は再び緩む。


「し、死ぬかと思った」
「そんなに簡単に死ぬものか」


腕の中の存在に小さく微笑み、甘ったるい優しい表情を作った。

■て 天衣無縫で勝てません

押さえ切れない歓喜を思わず零してしまった様な表情に、臓腑が焼けるような苛立ちを感じる。
何事か会話を続ける二人をよそ目にサングラスを外すと腕を組んで声をかけた。
視線はきっちり冥加に抱かれたままのかなでに固定して。


「俺を無視して他の男といちゃつくなんて、いい度胸だな小日向」


我ながら判りやすく不機嫌で、地を這うような声が出た。
ぴくり、と身を震わせたかなでは冥加の腕の中で暫しもがいたが、がっちりと抱きしめられているお陰で身動き取れないのを悟ると諦めるように彼を見上げた。
その態度に益々東金の沸点は下がる。
苛立ちを堪えるために唇を強く噛むと、鉄錆び臭い味が口中に広がった。


「怒ってるんですか?東金さん」
「怒ってないと思っているのか?」


先ほどまでの甘ったるい感情は何処かに吹き飛ばされ、ただ消化しきれない気持ちがこみ上げる。
目を吊り上げて冥加を睨むが、余裕ある態度で受け流された。
舌打ちすると鼻で哂われ頭に血が上る。


「何だ、東金。貴様ともあろうものが焼き餅か?」
「っ!!」


面白がるような口調。
馬鹿にされた自分の想いに、一気に頭が冷える。
深呼吸して気持ちを落ち着けると、誰に恥じるわけでもない感情に瞼を閉じた。
次に目を開いた時には先ほどまでの余裕の無さを消し、ふっと唇を持ち上げと浪々と声を張り上げる。


「だったらどうだって言うんだ、冥加。俺はそいつが好きだからな。当然の反応だろう?」


隠すどころか宣言して回りたい恋心。
眉根を寄せて渋い顔をした冥加の姿に、すっと胸の痞えが緩んだ。

■愛して

苦々しい表情をした冥加は、ため息を一つ落とすと漸くかなでを開放した。
何が起きたのか良くわかっていないらしいかなでは、鈍いことに折角自由になったのにその場を動こうとしない。
業を煮やして腕を伸ばすと。


「こっちに来い、小日向」
「え?はい」


東金の言葉に素直に頷いたかなでは、小走りで寄ってきた。
手が届く範囲まで近づいた少女ににこり、と笑顔を向ける。
釣られて微笑んだ彼女の頭に手を置くと。


「俺を無視した罰だ」


ぐりぐりと力任せに頭を撫でた。
全体的に小作り出来ているかなでは、当然頭も小さい。
片手で押さえ込める大きさに、漸く戻ってきたと喜ぶ感情と、戻ってくるのが遅いと苛立つ想いを篭めて髪をかき乱す。
暫く続けて手を放すと、乱暴な仕草に目を回したらしいかなではふらふらと千鳥足でそこら辺を漂った。


「・・・大人げがないな」


呆れたように声を発した人物にじとりと目を向ける。
一体誰の所為だと思っているのか。
性悪の根源を睨みすえると、精々きつい眼差しをくれてやる。


「小日向に近づくな」
「それは俺自身が決めることだ」
「───お前、本気か?」
「貴様の質問に答える理由はないな」


先ほどまでの緩んだ表情を山の彼方に吹っ飛ばしたらしい男は、腕を組み良く似合う嘲りの表情を浮かべた。
響く会話は温度が無く、続けても無意味だと早々に悟らせる。
つまるところ、この男の感情を揺り動かせる相手は決まっているということだ。
その相手が想像出来、はあ、と一つため息を吐く。
自分の感情を自覚してるかいないのか。
こういう手合いは面倒だと頭をかけば、ふらふらしながら戻ってきたかなでがこの場にそぐわぬ春の木漏れ日のような笑顔を浮かべた。
まだ目が回っているらしく未だに体が揺れ動いているのはご愛嬌だ。
口元を押さえ笑いを堪えるが、次の瞬間にはそんな必要もなくなった。


「良ければ冥加くんも一緒にご飯を食べない?今から少し遠出してピクニック気分を味わおうとしてたとこなんだけど、息抜きにどうかな?」
「・・・小日向っ」


二人の間に流れる冷え切った空気を全く理解しないかなでの発言に目を見開いた。
非難を篭めた声に気がつかない少女は、にこにこと東金を見上げる。
いいアイディアだと思いませんかと全身で語る姿に、勘弁してくれと項垂れた。
こうなれば最後の手段と、誘われた本人を鋭く睨め付ける。
幾らなんでもかなでよりは聡いであろう男は、東金の意思に気づくはずだ。
だが。


「仕方ない。貴様がそれを望むのなら、付き合ってやらんことはない。どうせ、俺の全てはお前のものなのだからな」


ちらり、と東金を眺めて哂った冥加は、かなでに向かいそう告げた。
先ほどの東金にも劣らぬ熱烈な口説き文句を口にして、けれどそれを自覚しない男は艶やかなまでの微笑を浮かべる。
あの笑顔が彼の感情そのままだとしたら、随分と頭が痛いことだ。
蕩けるほどに甘さを含み、中てられるほどの愛しさを醸し出す男の存在は、高い障害になるに違いない。
疲れたため息を落とす東金を、不思議そうに首を傾げたかなでが覗き込む。
悪びれない様子に最早怒りすら沸かない。
仕方なく苦笑して、先ほどと同じように頭に手を置く。
身構えたかなでに笑って、慈しむために手を動かした。
ほっと息を吐き目を細めて享受する少女に、本当に仕方が無いと小さく呟く。
努力するのは嫌いじゃない。
苦労して手に入れたものならば、きっともっと価値は輝く。
耳元を擽ると首を竦めた少女は、ふふふ、と声を上げて微笑んだ。


「お前は絶対に俺を選ぶ」


囁けば、かなでは大きな瞳を丸くした。
絶対にだ、と再度宣言し、彼女を間に挟み反対側に立つ冥加に唇を持ち上げる。
挑戦的な眼差しに、ただ静かに男は瞳を眇めた。


この女を、手に入れるのは俺だ


あ・・・自分でもいい加減馬鹿だと思う/い・・・口にせずとも判って欲しい
し・・・危なっかしくて放っておけない/て・・・真っ直ぐな目が眩しすぎる




 「I wish」のユウチさまからいただいた素敵創作第二弾でございますっっっ!! ひゃー!!!
 冥加さん視点でも十分楽しく読ませていただけたのに、東金視点まで読めるなんてっ!
 こちらでしか分からない東金の心情などを堪能できて幸せです…v
 「恋して」と「愛して」を何度も読んでキュンキュンしましょう! ユウチさま、ありがとうございました!!


 2010.3.10.up