*恋して*


■こ 殺してしまえば楽なのに

視界の端に移った色を見つけ、冥加はじっとりと眉間に皺を刻み込んだ。
何処に居ても目に付いてしまうそれは、冥加にとって特別な意味を持つが同じくらい忌々しさを感じるものでもある。
休日の元町通り。さすがに、夏休みのコンクール期間とは違い、少女は制服姿ではなかった。
小花模様の淡い黄色のワンピース。薄手のカーディガンに、麦藁帽子を被ったかなでは、何処かへ出かける最中なのかにこにこと笑みを浮かべながら歩いている。
両手には荷物が一切なく身軽な様子に疑念が沸いたが、少しずらした視線の先に映る姿に疑念は一挙に晴れ渡る。


───東金千秋


かなでの数歩後ろを歩く男に、益々眉を寄せる。
コンクールが終わった休日だからか東金も普段の神南の制服ではなく、プライベートを主張するように私服だった。
白のプリントTシャツの上に黒のジレベストを纏い、同色のパンツを履いている。
サングラスをかけているので一瞬誰か判らなかったが、それでも東金らしい自信に満ちた雰囲気は隠せない。
何故か片手に似合わぬバスケットを持った東金は、かなでの数歩後ろから何事か話しかけていた。
言葉を発した東金に、麦藁帽子を押さえたかなでが振り返る。
ふわり、とスカートの裾が円を描いて翻り、ゆっくりと舞い降りた。
東金に笑顔を向けるかなでに、無意識に握った拳に力を入れて見詰める瞳に険を篭める。
だが距離がある所為か、それとも生まれ持っての鈍い素質か。
睨みつける冥加に、かなでは一切気づかなかった。
人々の視線を集めながら歩く二人組みは、けれど集中するそれを気にすることもなく堂々としたものだ。

不意に自身の格好に目をやり、小さく舌打ちした。
コンクールが終わっても冥加にはまだまだすることがあり、彼は今日も制服姿で天音学園へと向かう最中だった。
仕事に追われる日常が嫌なわけではないが、高校生らしさを満喫している二人を見ると消化不良の感情がこみ上げるのも事実だ。
二人を見つける一秒前までこんな感情は持ちえていなかったのに。
苛立ちと悔しさがない交ぜになり、益々嫌な気分になった。

結局のところ、小日向かなでを見つけてしまったからこそ起こった事態に、解決策など一つしか見当たらない。
つまりは、見なかったふりをすればいいのだ。
視界から追い払うよう視線を背けた冥加は、学園までの道のりを考えると少し遠回りになる方向へ足を向けた。


■い いきすぎるほどに強すぎて

しかし世の中はままらないのが条理だ。
さっさと通り過ぎようと思い踵を返した瞬間。


「あ、冥加くん!」


この夏の日差しのように明るい声が通りに響いた。
一瞬無視をして通り過ぎようかと考えたが、そうすれば無視されたと思うのではなく、聞こえなかったと勘違いして名を連呼される気がしたので渋々足を止める。
立ち止まり振り向けば、麦藁帽子を押さえたかなでは小走りに寄ってきた。
たった10mほどの距離なのに、少し息を乱した様子に呆れる。
華奢な見た目通りに体力がないのか。それとも鈍そうな雰囲気通りに運動神経がないのか。
どちらなのだろうと眺めていると、呼吸を整えたかなでは大きな瞳に冥加を映し出す。
子犬のようなあどけない顔で、にぱっとなんとも間の抜けた顔で笑った。
どれ程振り払っても変わらない笑顔に、ふっと冥加は息を吐く。
コンクールが始まってから7年ぶりに会話した少女は、弦が切れてしまったと泣いていた頃から成長してないらしい。
鈍くて爪が甘く、無邪気で無防備だ。
肩を少し越す髪を揺らし、唇に指を当てて首を傾げると口を開いた。


「こんにちは。制服姿ってことは、天音学園からの帰り?」
「・・・良く見ろ、小日向。そいつの向かってた方向は天音学園がある道だ。家がそっちにあるって言うならともかく、普通に考えれば今から向かうところだろう」
「東金さん」


何時の間に追いついたのか。それとも、無意識に視界から削除していたのか。
気がつけばかなでの背後に立つ男は、彼女の首に腕を伸ばすとくいっと自分の方へ引き寄せた。
小柄なかなでは唐突な出来事に瞬きだけを繰り返し抗うことなく腕に収まる。
誂えたようにすっぽりと嵌ったかなでの頭に顎を乗せると、体の前で両腕を組んで拘束した東金は口の端を持ち上げた。
挑発的な態度を見せる東金に、隠さず不機嫌を前面に押し出す。


「貴様、いきなり何をする」
「見て判らないなら、聞いても判らないだろうよ」
「・・・小日向を放せ」
「何で俺が冥加に命令されなくちゃならない?第一小日向は嫌がっていない」


確かに。
大人しくしているかなでは、頭上で繰り広げられる舌戦にただ驚いているだけに見えた。
だがそれが何だと言うのだろうか。

状況を把握し切れてないらしいかなでの腕を掴むと強く引っ張る。
痛い、と小さく悲鳴が聞こえたが無視した。
まさか冥加がこんな行動に出ると思ってなかったらしい東金は、いつもの余裕を湛えた笑みではなく、珍しく素直に驚きの表情を浮かべている。
胸に当たる感触を逃さぬように両腕で閉じ込めた。

■し しかめっ面が標準装備

「・・・何をしている」


先ほどまでの上機嫌と打って変わって、サングラス越しでも判る視線の強さに冥加は哂う。
神南の東金ともあろう男が、何と情けない姿だろうか。
くくっと喉を鳴らして嘲りを浮かべれば、一層声を低くした男はバスケットを持っていない方の手を伸ばしてきた。
だが見越していた動きをバックステップで避けると、遅いと馬鹿にする。
それよりも腕の中に納まったかなでが、先ほどとは違い必死にもがくのが気になった。
舌打ちする東金から目を放すと、抱きしめていた腕の力を緩める。
ぷはぁ、と大きく息を吐き出したかなでは涙目で冥加を見上げてきた。


「し、死ぬかと思った」
「そんなに簡単に死ぬものか」


肩を大きく上下させる彼女は、どうやら冥加の胸に押し付けられていた所為で呼吸困難に陥っていたらしい。
一瞬動揺したが、涙が生理的なものと気づき息を吐く。
我ながら安堵を交えたそれに、再び眉間に皺を寄せた。
息を整えながら腕の中に納まるかなでは、呼吸が出来るおかげか大人しくしている。
そして漸く滑らかな呼気に変わると、唐突に顔を上げてじっと冥加を見詰めた。

見定めるように、瞬きすら惜しみ冥加を眺めるかなでに、落ち着かなくなる。
いい加減我慢も限界に来て、何なんだと問い詰めようとした瞬間、それよりも先にかなでが動いた。


「眉間の皺」
「・・・・・・」
「取れなくなっちゃうよ」


これで本当にバイオリンを奏でられるのかと心配になるくらいに細く華奢な指先が冥加の眉間をぐりぐりと押さえる。
皺を解そうとでもしているのか、あまりに浅はかな行動はむしろうっかり感心しそうだ。
何を考えたのか、何も考えていないのか。
間違いなく後者だと思うが、呆れを多分に含んだため息を吐きながらも振り払うことはせずに好きにさせた。

■て 敵は何処だ

「俺を無視して他の男といちゃつくなんて、いい度胸だな小日向」


地を這いずるような声が聞こえ、顔を上げるといつの間にかサングラスを外し、きつい眼差しを向ける東金の姿があった。
何も言わないのですっかりと存在を忘れていたが、そう言えば居たなと嘯く。
冥加の言葉をきちんと聞き取ったらしい東金は、きりきりと目を吊り上げ端整な顔立ちを歪ませた。
彼のファンの女性が見れば卒倒しそうな表情をしていると告げれば、向かい合って抱きしめている所為で東金の表情が見えないかなでが目をまん丸にした。
喜怒哀楽が素直なのがかなでの特徴だ。


「怒ってるんですか?東金さん」
「怒ってないと思っているのか?」


空気を読まない台詞に、益々東金の眼差しが強くなる。
苛立ちは冥加だけではなく、腕の中に納まるかなでにも向けられているらしい。
自分も同じことをしたくせに、随分な態度だ。


「何だ、東金。貴様ともあろうものが焼き餅か?」
「っ!!」


冥加の放った言葉に、東金は身を強張らせる。
だが先ほどまでの苛立ちを綺麗に隠すと、彼らしいゆったりとした自信に満ちた笑みを浮かべた。


「だったらどうだって言うんだ、冥加。俺はそいつが好きだからな。当然の反応だろう?」


臆面もなく告げられた内容に、冥加は目を瞠った。

■恋して

恥じることなく宣言した東金に、怒りは沸いてこなかった。
むしろ当然の結果だと苦々しく思う。
7年前冥加を捉えて憎悪や嫌悪に塗れても憧れて、躊躇なく魂の欠片を奪った音を出したかなでに、東金が惹かれないはずがないのだ。
だから予想できていた内容だが、それでもため息は重くなる。
腕の中の柔らかく華奢な少女は、人を振り回す天才だ。

別に東金の言葉に心を動かされたのではないが、拘束していた腕を緩めるとかなでを放す。
自由になった彼女は、けれど状況が読み込めていないのか瞬きを繰り返すだけで動こうとはしなかった。
何処まで鈍いんだ、と髪をかきあげ苦笑する。


「こっちに来い、小日向」
「え?はい」


結局、もう一度手を伸ばそうか迷っている間に、背後から東金が声をかけ頷いたかなでは素直に冥加に背を向けた。
呼ばれるままに赴いた彼女の髪に手を置くと、くしゃくしゃと乱暴にかき乱す。
わっわっと呻くかなでは、首ごとゆらゆらと揺らしながら必死に足を踏ん張った。


「俺を無視した罰だ」
「・・・大人げがないな」


突っ込みを入れたがさらりと無視される。
お仕置きらしきものが終わると千鳥足になったかなでは、目を回したらしくふらふらと彷徨う。
その様子を笑いを堪えて見ていた東金は、かなでが少し離れた場所に行くと一気に目線を鋭くして冥加を睨み付けた。


「小日向に近づくな」
「それは俺自身が決めることだ」
「───お前、本気か?」
「貴様の質問に答える理由はないな」


刺々しい会話は、何処までも乾いている。
冥加にとって東金はその他大勢の一人でしかなく、突っ込んだ内容に気軽に返す相手ではない。
最も、それが出来る相手など極限られていたのだが、それを教える気もなかった。
冷えた雰囲気を醸し出す二人に、漸くふらつきが納まったらしいかなでが再び空気を読まずに口を挟む。
少しだけまだ目が回るのか僅かに体を揺らしながら、それでも彼女特有の春の木漏れ日のような穏やかな笑みを浮かべて。


「良ければ冥加くんも一緒にご飯を食べない?今から少し遠出してピクニック気分を味わおうとしてたとこなんだけど、息抜きにどうかな?」
「・・・小日向っ」


暢気な声に、非難が重なる。
だが東金が焦っているのには気づいても、それが何故かまでは理解が及ばないかなでは、彼を見上げて首を傾げた。
強く出れない東金に、くくっと含み笑う。
同情も交えたそれに、きっと睨みつけられたが何処吹く風で受け流した。

期待するように目を輝かせるかなでを見て、一拍置く。
そして精々余裕を湛えた声で、恋敵にも聞こえるようにはっきりと告げた。



「仕方ない。貴様がそれを望むのなら、付き合ってやらんことはない。どうせ、俺の全てはお前のものなのだからな」



この場では後悔のなかった台詞が、公衆の面前だったというのを忘れていた所為で後日とんでもない波乱を起こすのだが。
幸いにも、今の冥加はそれを知らずに、ただ目の前に存在する奇跡の様な存在に幸せそうに微笑った。


こ・・・持続するには辛すぎる/い・・・制御不能に陥った
し・・・今更笑えと言うのだろうか/て・・・探さなくとも見つかるが




 「I wish」の国高ユウチさまから、お友達記念として素敵創作をいただきました!
 ユウチさま、わがままなリクにもかかわらず快諾していただいた上、こんなに素晴らしい作品を書いてくださって本当にありがとうございました! 大好きですー!!


 2010.3.7.up