* 水に流れて *


 
あの日、ステラが一瞬僕たちの前から消えた、あの時から、何かが少しずつ、だけど確実に崩れていったんだ。



 ステラを無事に連れ戻した後、スティングたちはネオに与えられた地球軍の別荘に向かった。
 スティングは黙って車を走らせていた。いつもは人一倍よくしゃべるアウルも、一言も声を発さなかった。後部座席に座るステラの表情だけが僅かに柔らかかった。


 別荘に着いて、車を降りたとき、初めてアウルはステラを見た。
 突然消えやがって、このバカが。と悪態をついてやりたかったが、過保護なスティングが煩いのでやめた。
 ふと、彼女のいつもよりウェーブのかかった髪を見て、アウルは眉を顰める。金色の髪に指を絡ませると、疑問が確信に変わった。
「お前、髪湿ってる」
 アウルの言葉にステラは、きょとんとしているだけである。肩に掛けられた茶色の毛布が目に留まる。

 そういえば、赤服と一緒にいたヤツが海に落ちたなんて言ってたな……

 アウルは軽く溜息をつくと、ステラの片腕を掴み強引に引っ張った。そして、屋敷の奥に向かって、大股に足を進める。
「おい、待て。どこに行く?」
 制止の言葉を掛けたのは、スティングだった。
「こいつにシャワー浴びさせんのっ」
 アウルは振り返ることもなく、背後の青年に言葉を投げた。スティングは訳が分からないといった表情で、連れられるステラを見たが、当の本人も全く同じ思いだった。



 脱衣室に入ると、アウルはステラの肩にある毛布を乱暴に投げ捨てた。菫色の瞳が、それを名残惜しそうに追う。構わず勝手に衣服を脱がせ始める水色の髪の少年に、ステラは初めて小さく意見した。
「なんでシャワー浴びなくちゃいけないの?」
 首を傾げ、こんな質問をしてくる少女を、アウルは軽く睨み付けた。
「なんでって……お前、分かんないの? 海に落ちたんだろ。濡れてるじゃん」
「もう濡れてないよ、ちゃんと乾かしたもん」
 どうやって?などと野暮な質問は出来なかった。白いドレスが床に落ち、下着だけをつけた彼女の白い肌が露になる。
「バカ、乾いてないって。髪だって湿ってるし、身体中、潮臭い」
 そう言って、さっきステラの髪を絡めた指を鼻にあてる。そこにも潮の匂いがこびりついていて、アウルはうんざりした。

「パンツぐらい自分で脱げよ」
 八つ当たりのように言い放つと、命令されたステラは渋々それに従った。
 ステラの豊満な胸や下腹部を目の当たりにしても、アウルは何も感じない。ステラ自身も裸体を晒すことに羞恥心はない。
 彼らは、そうやって育ってきた。スティングも同様である。それが幸か不幸かは、彼ら自身には分からないことだった。

 ふと、下着を脱ぐ少女の様子を見るアウルの目に、見慣れぬものが映った。
「何それ?」
 アウルの指が下方を指すと、菫色の虚ろな瞳もそれを追った。指と視線の先には、ステラの右足首に丁寧に巻かれたハンカチがあった。それだけが、ステラの肌を隠す唯一の存在となっていた。
 ステラは腰をおろすと、まるで慈しむように、そのハンカチに触れた。
「何それ?」
 アウルは答えない少女に苛立ちを感じながらも、同じ質問を繰り返した。声の調子がやや低くなっていることに自分でも気付く。
「シンが……してくれたの」
「はぁ、シン?」
 訊き慣れない名前にアウルは、眉を顰める。先刻、ステラを助けたという黒髪の少年が、確かそう呼ばれていた気がする。ヤツの血を連想させるような紅い瞳が、なんとも気に食わなかった。
 ハンカチにあてられてステラの手を払うと、アウルはその結び目を解いた。ステラが短く「あ…」と声を漏らす間に、ハンカチを自らの手に納めて、満足げに口端を上げる。その下からは、ステラの肌と痛々しい傷痕が現れた。
「うわ〜ひでぇ傷!」
 言葉とは裏腹に、少年は微笑んでさえいた。ステラは、アウルが握り締めているハンカチに手を添えようとするが、簡単に払われてしまう。
「返して、わたしの――」
 今度は言葉でも訴えたが、アウルは耳を貸そうともしない。
「あーあー、すぐ消毒しないと」
 そう言って、懸命にハンカチを取り戻そうとするステラをかわし、すーっと傷口を指でなぞった。まだ癒えぬ傷に触られ、少女は小さな悲鳴を上げる。
「何突っ立ってんだよ、ステラ。早くシャワー浴びて来いよ。そうしなきゃ消毒できないだろ?」
 自分の行動に罪悪感など微塵も感じず、アウルはステラに言い放った。ステラはびくりと身体を強張らせたが、彼の手にあるハンカチから瞳を放そうとはしなかった。
「僕の言うこと訊けないの? これ、捨てるよ?」
 蓄積された苛立ちに限界を感じたアウルは、少女に彼なりの最後の救いの手を差し伸べた。
 それを察したのか、ステラは肩を小さく震わせると、少し慌てた様子でシャワー室に消えていった。


 暫くした後、扉の奥から激しい水の音と彼女の口ずさむ耳慣れた唄が聴こえてきた。
 アウルは、手にあるハンカチを見やると、力の限り握り締めた。そして、先程放り投げた毛布の上に乱暴に捨てる。

 脱衣所に備えられた洗面台の前に立ち、軽く取っ手を回した。蛇口から緩やかに流れる水に両手を翳し、その様子を虚ろな碧眼で捉える。



 全て水に流れてしまえばいい。そう、思った。

 鼻につく潮の匂いも、この耐え難い苛立ちも、

 全て、水に流れて消えてしまえばいい、と思った。

 消えてしまえと願った。

 彼女に残る潮の匂いも、そして“アイツ”の記憶も――

 全て、排水溝の底へと消えてしまえと切に願った。





 捏造甚だしいです(汗) 最初の一文は、あまり気にしないでくださいv(なら書くな)
 本当はアウルもシャワー室に入れるつもりでしたが、色々と制止が利かなくなるのでやめました(笑)
 ちょっと黒めのアウルが書けて満足です☆(笑)


 2005.4.2.up