* 揺るぎ無い意志 *
シルメリアの意識が覚醒したとき、その身体はベッドの上にあった。
木造の天井が目の前に広がる。
ここは、どうやら宿屋のようだ。
内在するもう一つの意識を探るが、反応はなかった。どうやら少女は寝ているようだ。
なるほど、それならば今ベッドの上にいることも頷ける。
シルメリアは納得すると、ゆっくり上体を起こし、窓に目をやった。
そこからは、あたたかい陽が差し込み、その奥には見慣れたヴィルノアの街並みが続いている。
空を見上げると、まだ日は高くにあった。
長い間、“こちら”に出ていなかった所為か久しぶりに太陽の光を見たような気がした。
少女が眠っているのは誤算であったが、今は街の中だ。それほど問題もないだろう。たまには一人で出歩くのもよいかもしれない。
シルメリアはベッドから起き上がると、簡単に身支度を整え、部屋を後にした。
一人、雑踏するヴィルノアの街を歩く。
耳には、商人たちの客寄せの声と子どもの笑い声が否応なしに響いてくるが、長い間静寂の中にいたシルメリアにとっては、それも心地よいものに感じられた。
目的地は特に決まっていなかったが、足は街の奥へと進んでいる。
ふと、後方から自分をつける人の気配を感じ、シルメリアは表情を硬くした。
周りから不審がられないように、歩調は変えずに歩く。
一体誰だろう。
人ごみの中にいるため、気配を探ろうとしたが無駄だった。
一瞬、黒髪の傭兵が脳裏に浮かんだが、それはないだろうとかき消す。
“彼女”が手を下すならば、もっと以前からできているはずだ。それも至極容易に。
今更、寝床や一人でいるところを狙うとは考えられなかった。
“彼女”はおそらく機を窺っているのだろう。最高のチャンスを。
それでも、自分をつけてくる人物の見当はつかなかった。
仲間ならば、もっと早くに声を掛けてくるとも思う。
それならば、一体何者だ?
やはり一人で出歩くべきではなかったかと後悔するが、それももう遅い。
アリーシャが未だに覚醒していないことも悔やまれるが、自分一人でもなんとかなるだろう。否、なんとかしなくてはならない。
ただ、今はなるべく人気のない処に行くことに努めた。ヴィルノアの人々を巻き込みたくはなかった。
シルメリアは尚も歩調を変えることなく、しかし意識的に街の外れを目指して歩いた。
どれくらい歩いただろうか。
耳には、もう人々の声は響いてこない。
この辺りで良いだろうと確信すると、シルメリアは歩みを止めた。
「何か用?」
振り返ることなく、鋭い声で訊ねる。
相手の出方を窺ったつもりだったが、返事は呆気なく簡単に返ってきた。
「悪ぃ。後付けるとか、そういうつもりじゃなかったんだ」
その声は、ルーファスのものだった。
物陰から、緑色の髪を持つ青年が、ばつの悪そうに鼻の頭を掻きながら現れる。
シルメリアは小さく溜息をつくと、目の前に現れた青年を鋭い眼光で睨んだ。
内心ほっとしたが、素直に安心できる心境でもなかった。
そんなことは知る由もないルーファスは、少女の硬い表情を見て、一人で納得したように言う。
「・・・シルメリア、だったのか」
その言葉に、シルメリアは眉を顰める。
「私で、文句があって?」
「いや、街ん中でアンタが出ているなんて珍しいと思ってな」
自分の機嫌が伝わったのかもしれない。
シルメリアの表情を窺いながらも、ルーファスは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「・・・ところで、アリーシャは?」
「寝ているわ。大分疲れが溜まっているみたい」
ルーファスの問いに一瞬言葉に詰まったが、正直に告げる。
まだ日が高いうちからアリーシャは宿屋で休んでいたのだ。旅の疲労が相当溜まっていることは容易に想像ができた。
しかも、アリーシャは自分と精神を共有している。
長い間そうであったとしても、心身に与える負担は、普通の人間が感じるものに比べ遥かに大きいのである。
今回の旅が、まだ18歳の少女にとって、苛酷なものであることは、シルメリアが一番分かっていた。
「アンタは大丈夫なのか?」
「どういうことかしら?」
突然自分自身のことを問われ、シルメリアは表情を硬くした。
「いや、最近あんま“外”に出てこなかったからな」
ルーファスにとっては何気ない一言だったのかもしれない。
しかし、その鋭い指摘に、シルメリアは言葉に詰まった。
自分が表層に出てこなくなった理由は、あの黒髪の女傭兵にある。だが、それは周囲に悟られるべきものではないのだ。“彼女”にとっての好機が来るまでは。
黙るシルメリアを前にして、ルーファスは気にする素振りも見せず、尚も言葉を続ける。
「仲間が増えてきて賑やかにはなってきたが、やっぱりアンタがいないとアイツは寂しそうだぜ」
その言葉に、シルメリアは自分の胸が熱くなるのを感じた。それを悟られまいと視線を足元に落とす。
自身の反応に戸惑いながらも、小さく生まれたこの感情を大切に留めておきたいとも思った。
そうして、“彼女”は小さく呟いた。
「大丈夫よ。・・・あの子は、私が守るわ」
揺るぎ無い決意を込めて言う。顔は伏せているが、この青年になら伝わるだろうと、どこかで確信していた。
少しの静寂の後、青年の溜息が漏れた。そして、すぐ耳元で囁かれる。
「そういうのは、アリーシャの前で言ってやれよ」
「・・・・・」
「アイツ、きっと喜ぶぜ」
青年はどんな表情を浮かべながら、その言葉を紡いでいるのだろうか。
シルメリアからは見ることはできなかったが、別に悪い気はしなかった。
先ほど生まれた小さな感情が、自分を優しい気持ちにさせる。
「俺も同じだ。アイツの無理に作った笑顔は、見たくない」
ルーファスは尚も続ける。それは、彼の素直な言葉なのだろう。
瞳を閉じ、シルメリアは意識を集中させた。アリーシャが既に覚醒していることは分かっていた。
ルーファスの言葉を借りるならば、“そういうことは、アリーシャの前で言ってあげなさい”だ。
シルメリアは口の端を少し上げると、意識を静寂の中へと戻した。
意識がだんだんと薄れる中、遠くから、青年と少女の笑い声が聴こえたような気がした。
シルメリア視点です。難しいですね、彼女は(^-^;
照れてはいるけれど、結局は一枚上手な女神さまです(笑)
2006.8.12.up