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それは、ある晴れた日の朝の出来事だった。 ヒルダはテーブルに頬杖をつきながら、目の前に座り熱心にタロットを眺める少女を見ていた。そして、その少女の目元の異変に気づくには、そう時間は要さなかった。 「アニー、あんた目真っ赤よ」 「え? あ、昨日本を読んでたら徹夜しちゃって・・・だからかもしれません」 「ふーん。で、泣いたわけ?」 「うっ、・・・はい」 そう頷いて、アニーは今度は顔まで赤くさせる。 「無口な人に思いを寄せる主人公の話なんですが、結局叶わなくて・・・」 「そういえば・・・その本のこと、前にも言ってたわね」 「はい、好きだから何度も読んでいるんです」 ヒルダは、はにかむアニーをじっと見つめた。 「ふーん、それは主人公に感情移入するから?」 「え?」 「“無口な人に思いを寄せる”自分と重ね合わせるから?」 「う、そんな・・・」 「あんた、私が気づいてないとでも思ってるの?」 「・・・・・・・」 ずばり核心を衝くヒルダの問いかけに、アニーはただ俯いてしまった。 「でも――」 視線を窓に移して、ヒルダは続けた。雲一つない空は美しかった。 「私、いい線いってると思ってるわよ」 独り言のように小さな声で呟く。自分には珍しく励ましの言葉をかけたつもりだったが、当のアニーはそれを聞き取れる状態ではなさそうであった。 「・・・わ、私、顔洗ってきます!」 突然席を立ち、足早に部屋に戻るアニーの背を見て、ヒルダはいじらしさを感じた。そして同時に自嘲の笑みを漏らす。 「私、もう若くないってことかしら」
日が高く昇ったころ、自室でタロットをいじるヒルダの前にアニーがやってきた。先刻の出来事は嘘のように、にこにこと微笑みながら。 「ヒルダさん」 「何?」 「これ、読んでください」 そう言ってアニーが差し出したのは、少し古ぼけた硬表紙本であった。 「ヒルダさんに読んでほしいです。すごくお奨めなので」 「私にも泣けと?」 「いえ、私が読んでた本とは違うんです。でも、これならヒルダさんにも分かってもらえるかなと思って」 「ふーん」 全く興味を示さないヒルダに、アニーは「どうぞ!」と、半ば押し付けるように本を渡す。 「絶対読んでくださいね」 部屋を出る前にもう一度念押しをして、アニーは足軽に出て行ってしまった。ヒルダは軽く溜息をつくと、仕方なく本のページを開いた。表紙こそ薄汚れていたが、中身は編集されたときのままを維持しているようだった。長い睫毛を持った瞳が、小さな文字の列を辿る。
それは身分違いの男女の間に生まれた少女が主人公の物語であった。自分の立場に翻弄する少女とハーフとして忌み嫌われた存在である自分とが微妙に重なる。
そこまで読んで、廊下からやってくる足音に気付き、ヒルダは本から視線を離した。ふと窓の外を見ると、もう空は紅くなっていた。どうやら時間を忘れて、本に熱中してしまったらしい。その事実に、自分自身が困惑していた。 軽いノックの後、扉が開く。足音の主はクレアであった。アガーテ女王の姿をした彼女は、人形が着るような純白のドレスをひらひらと靡かせながら近づいて来た。そして、ヒルダの手元に目をやる。 「あら? ヒルダさん、それ」 「アニーから借りたのよ。あの子、読めってしつこくて」 照れ隠しのために言った口実に、自分自身が不愉快になる。 「そう、アニーが」 意味ありげに微笑むクレアに、ヒルダは眉を顰めた。 「あんた、この本のこと知ってるの?」 「ええ、私が生まれた村ではよく読まれている小説だわ。いい話よね、私も好き」 そう言って、にこにこと笑うクレアを見て、ヒルダも反射的に頷いてしまった。 「・・・まぁ、確かにね」 そして、手元にある本に視線を落とす。クレアはヒルダの隣の席に座わると、独り言のように呟いた。 「私も憧れるなー。年下の男の子って」
「・・・・・・・・・・・・・・は?」 それが、そのときヒルダに出来えた唯一の反応であった。全ての思考が一時停止する。
「ちょ、ちょっと! どういうこと!?」 勢いよく立ち上がり、クレアに問いただす。思った以上に自分の声が大きくなっていることに気づいたが、今はそれどころではなかった。 「え、ヒルダさん、最後まで読んでないの?」 瞳を大きくし、きょとんとするクレアに、ヒルダは大きく頷いた。 「ええ。とにかく、この本の内容教えなさい!」 「え、でもそれじゃあ、読んだときの楽しみが・・・」 「いいから! 早く言う!」 「え、だから、身分違いの両親から生まれた主人公は年下の男の子と恋に落ちて・・・」
「はぁ〜〜〜〜!!?」 まるで絶叫するかのように、ヒルダは声を上げた。脱力し、頭を抱えながら崩れるように席につく。 「ごめんなさい。だからアニーがあなたに薦めたと思って」 「・・・“だから”って何よ」 戸惑うクレアに、尚も頭を抱えて、ヒルダは力なく呟いた。先ほどのアニーやクレアの表情を思い出し、彼女たちの意図をようやく理解する。それと同時に、ある人物が頭に浮かんだが、必死に払い除けた。この状況で、その者を意識してしまう自分が腹立たしい。 そのとき、また廊下から近づいてくる足音が聴こえてきた。もし、その主がアニーであったら、彼女はどんな顔をして現れるのだろうか? そして自分はどんな顔をするのだろうか? そんなことを頭の隅で考える自分に余裕を感じながら、ヒルダは扉がゆっくりと開かれるのをじっと見つめていた。 しかし、彼女の目の前に現れたのは、アニーではなかった。
「なんだぁ〜ヒルダ、大声なんか出して」 不幸にも現われたその青年が、ヒルダの怒りの雷を食らったのは言うまでもない。それは正に晴天の霹靂であった。
哀れティトレイ。何気に女性陣の出現率の高いSSになってしまいました(笑) クレアの独り言は私の妄想です。そして希望です(無理矢理)
ティトヒルにもヴェイアニにもなりきれてなくて、すみません。うちのヒルダはこんな感じ(汗) ちなみに書けませんでしたが、ヒルダは最後まで本読んじゃいます(笑) もちろん徹夜して(笑)
2005.1.25.up
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