*敵は一人じゃない*


 休日にもかかわらず、冥加は天音学園の運営のために奔走していた。
 朝から行われた会議で小煩い老人たちの相手をし、終わらせたと一息吐く頃には時計の短針も12時から90度ほど離れていた。碌に食事も取っていないことに気づき、外へ出歩くけれど、食欲を満たすことよりも身体は少しの休憩を欲しているようで。
 緑に囲まれるのも悪くないと山下公園に赴いたら、予想もしなかった人物と鉢合わせた。

「兄様!」

 聴き慣れた声に呼ばれ、足を止めてその声のした方角を振り返ると、ベンチから腰を上げた妹と自分以上に状況を掴めていない様子で顔をあちこちに向けているかなでが視界に入ってきた。
 そういえば今日会う約束をしていると言っていたな、と昨夜の妹の言葉を思い出す。
 全国大会の期間中に知り合った枝織とかなでは、大会後も親睦を深め、休日には頻繁に出掛けるような仲になっていた。
 買い物をしたり、食事をしたり、かなでが暮らしている寮にも行ったと枝織が嬉しそうに報告してきたこともある。そんなとき冥加はいつも表情を崩さぬまま妹の話に耳を傾けていた。
 枝織が手を振りながら駆け寄ってきたので、冥加は仕方なく妹を迎えることにした。厄介なことに、やっと冥加の存在に気づいたかなでも枝織の後に続いて来ている。
 大会が終わって以来、このように顔を合わせるのも久しぶりのことだった。正直、今の自分には彼女に掛けるべき言葉が見つからない。

「兄様、お仕事終わったんですか?」
「いや、夕方にはまた会議がある」
「そう…ですか」
「こんにちは!」

 冥加の元に駆けてきた枝織と会話をしていると、鈴の音のように弾んだ声が冥加の耳に届いた。
 そちらに渋々目を向けると、陽光に照らされた柔らかな髪を僅かに揺らしながら駆け寄ってくるかなでがいて。

「お前は走るな。心臓に悪い」
「でも、枝織ちゃんも走ってたし。それに冥加さんに会えて嬉しくて」
「…………」

 臆面もなく告げられて、冥加はその後に続くはずだった文句を喉の奥に飲み込んだ。
 結局第一声で出た言葉も味気なく。そして、無垢な少女の言動に黙るしかない自分がいて。
 まるで今の俺はかつての残骸のようだと、胸の内で自嘲する。

「昼食は済んでいるのか?」
「はい、ここで小日向さんが作ってくださったお弁当をいただいたんです」

 かなでから視線を外し、枝織に訊ねるといつも報告をするときのような笑顔が返ってきて。

「……そうか」
「とっても美味しかったんですよ」
「…………良かったな」

 どことなく低く、やや不機嫌さを含んだ声が無意識に口から出る。

「次はぜひ兄様もご一緒しましょうよ」
「なっ…」
「ええっ、そんな恥ずかしいよ!」

 枝織の提案に、冥加とかなでが困惑の表情を浮かべる。
 恥ずかしいとはどういう意味だ、と目の前の少女に問い質したくなったが、頬を染める姿に恐らく拒絶の意味ではないのだと表には出さぬまま安堵の息を漏らす。
 そんな二人を見て、枝織はくすくすと幸せそうに笑った。

「あの、兄様」
「……なんだ」
「今度、お茶会を開きませんか?」
「お茶会?」

 またもや出された妹の突然の提案に冥加は眉を顰めるも、この件に関してはかなでも乗り気なようで。

「さっき小日向さんにもお話したんです。ほら、高等部の最上階には温室があるでしょう?」
「……ああ、それがどうした?」
「そこでお茶を飲みながらのんびりと過ごせたら楽しいだろうと思って」
「……そう…なのか?」
「きっと楽しいですよ! 私、お菓子作ってきます!」
「……っ!」
「わぁ、小日向さんのお菓子をいただけるなんて嬉しいです! きっと美味しいですよ、兄様!」
「……あ、ああ」
「兄様、やっぱりいけませんか?」
「冥加さん…」

 枝織とかなで、両者から潤んだ瞳で見上げられ、冥加は視線を宙に泳がせながら数十秒考えあぐねた末、最後にぽつりと呟いた。

「……まぁ、それくらいは問題あるまい」

 冥加の答えを聞いて、少女二人が無邪気に抱きつく。そんなに嬉しいものかと首を捻りたい気持ちもあったが、二人の喜ぶ様を見ているとどうも悪い気はしなかった。

「兄様のお友達もぜひお呼びしましょう」
「……友達?」
「アンサンブルを組まれていた方たちです」
「天宮さんと七海くんだね」

 かなでから出た二人の名に、そういえば知り合いだったのかと今更ながらに不可思議に思うけれど、にこにこと微笑んでいるかなでにその理由を聞けるはずもなく。

「早く日にちを決めてご連絡したいですね」
「そのときは、俺からあいつらに──」
「あ、私、連絡先知ってるよ」
「…………」

 以前にも似たような疎外感を感じたけれど、今はそんな些細な感情に振り回されている場合ではない。

「小日向」
「は、はい」
「そのときに出す茶葉を用意しておきたい。作る菓子が決まったら、一度俺の元へ持ってこい」
「えっ、はい、もちろん!」

 我ながら陳腐な台詞だったと思う。
 けれど、かなでは嬉しそうに頷いて。それだけで、胸の奥に熱が灯るのを感じる。
 すぐ隣で妹がまたくすくすと笑っているのを横目に、冥加はできるだけ無表情で、けれどとても穏やかな声音で「楽しみにしている」と小さく付け加えた。





 冥加さんが別人すぎてすみません…! そしてタイトルも活かしきれてない…!!
 天音学園のスペシャルの話の前にこんなことがあったらいいな、という妄想です(笑)
 とりあえずメアド交換くらいは早くして欲しいものですねっ!(笑)


 2010.3.23.up