*前途多難な恋*


 ある日の午後、かなでがラウンジに入るとそこには既に先客がいた。ソファに座り、紅茶を飲みながら優雅に寛いでいる東金千秋である。

「よう、小日向」
「あ、東金さん。こんにちは」
「お前、朝から部屋に籠もってたみたいだがどうしたんだ?」
「ええと…」

 折角この俺が練習に付き合ってやろうと思っていたのに。そんな言葉を付け加える東金に、かなでは眉をへの字にしながら手に持っている数冊のテキストを顔の前に掲げた。
 東金がそれに視線を移すと、『数学』『古文』などの文字が目に入って。

「もしかして、まだ宿題が終わっていないのか?」
「……はい」

 ため息を一つつき、呆れたような口振りでかなでに訊ねると、彼女は弱々しい声で答えた。
 先日、共同戦線を張って宿題をこなしたはずなのに、どうやらそれだけでは終わらなかったらしい。

「受験生の如月にも呆れたが、お前ももっと計画性を持て」
「……はい」

 しゅんと項垂れるかなでに、東金はもう一度大きなため息をついた。ティーカップを皿の上に置き、ソファの背にもたれかかる。

「で、ずっと自室にいたのに、ここに来たのはなぜだ?」
「え?」
「『え』じゃねぇだろ。テキストを持ってラウンジに来た訳を言え」
「ええと、その、場所を変えたら気分転換になるかなぁ、と思って」
「……それだけか?」
「は、はい。そうですけど」

 東金の質問の意図が掴めないかなでは、けれど正直に頷き、彼から離れたところにあるテーブルにテキストを置いた。
 そんな彼女の行動も東金には面白くない。鈍感め、と心の中で毒づく。

「一人でできないのなら誰かに助けを求めればいいだろう。その方が効率も上がるし、時間の短縮にもなる」
「それも考えました。でも、律くんや響也は出掛けてるみたいですし…」
「お前の目は節穴か」
「ええっ、なんですか急に…」

 唐突に、しかも露骨に表情を険しくさせた東金に言われ、かなでは目を白黒させた。東金が不機嫌になった理由も、不名誉な評価を受けた理由もかなでには分からない。
 けれど、その直後にかなでの背後から穏やかな声が響いた。

「千秋はね、あなたの力になりたいって言っているんですよ」
「なっ、ユキ…!?」

 かなでが振り向くと、そこには東金が呼んだ名の人物――八木沢がいて。声と同様の表情を浮かべて、かなでに微笑み掛けている。

「こんにちは、小日向さん」
「あ、こんにちは」
「ったく、暢気に挨拶してるなよ。というかユキ、お前いつから聞いてた?」
「うーん、結構前からだよ。小日向さんが疲れた顔をしていたから、甘いものを用意していたんだ」

 その言葉通り、八木沢が持つお盆の上には水羊羹と冷えた麦茶が載っていた。

「どうぞ」
「わぁ、ありがとうございます!」

 それらをかなでのいるテーブルに置くと、かなでがぱっと表情を明るくさせる。

「……小日向の分だけか?」
「ああ、ごめん。君の分もちゃんと冷蔵庫にあるんだけど、紅茶に和菓子は合わないだろうと思って」
「そういう意味で言ってるんじゃねぇ…が、まぁ菓子のことはいい。おい、ユキ」
「ん、なんだい?」
「お前、小日向に適当なことを言うな」
「え、だって君は彼女の手伝いをしたかったんだろう? 僕にはそう聞こえたけれど」

 鋭い眼光で睨んでみせるも、どうやら幼なじみには効果はないらしく。にこにこと穏やかな微笑みを返された。
 確かに手を貸してやろうとは思っていたが、他の奴に指摘されるとなかなか素直に肯けない。

「もちろん僕もお手伝いしますから、解らない問題があれば訊いてくださいね」
「ありがとうございますっ」

 八木沢にぺこりと頭を下げた後、かなでは遠くに座る東金に視線を移した。

「あのな、そんなに目を輝かせるな。それに俺はユキとは違って無償奉仕なんざするつもりはないぜ」
「え?」
「俺に教わりたいのなら、それなりの対価を支払え。話はそれからだ」
「た、対価って何ですか…?」
「それくらい自分で考えろ」
「もう。そんな意地悪を言ってはいけないよ、千秋」
「うるせぇ」

 八木沢が窘めるも、東金は聞く耳を持たない。その姿はまるで拗ねた子どもようでもあったが、八木沢は目を細めるのみでそのことには敢えて指摘しなかった。
 そんな中、対価について考えていたかなでは東金に恐る恐る訊ねた。

「あの、またお菓子を作っていいですか?」
「それだけじゃあ足りねぇな」
「うっ…」
「俺のために紅茶も淹れろ、いいな?」
「は、はい!」

 大きく頷くかなでを見て、東金は唇の端を吊り上げた。二人のやり取りを見ていた八木沢が満足そうに笑みを浮かべる。

「では、僕は頑張った小日向さんに和菓子を作りますね」
「わぁ、楽しみです!」
「おいっ」

 悪意なく横から美味しいところを持っていく幼なじみと和菓子という褒美に釣られる少女に思わず突っ込みを入れてしまう。
 けれど、突っ込まれた当人たちは首を傾げるばかりで。

「ユキ、小日向を甘やかすなよ」
「別にそんなつもりはないよ。ただ頑張っている彼女を労いたいだけで」

 彼女のいるテーブルまで移動して、勉強を見ながら隣に座る八木沢に小声で文句を言うも、相手はただ笑顔で答える。

「それが甘いって言ってるんだ」
「それなら千秋ももう少し素直にものを言わないと」
「これは駆け引きって奴だぜ」
「え、この問題って掛け算をするんですか?」
「引き算も違うと思うよ?」
「…………もういい」

(前途多難だな…)

 張り合うことはないけれど、だからこそ強敵かもしれない旧友と鈍感すぎる思い人。
 両者を見て、東金は一人小さくため息をつくのだった。





 東金が素直にならず冥加みたいになってしまいましたが、ツンではなく一応彼なりの駆け引きをしてたつもりなんです。
 …かなでには通用しなかったけど(笑)


 2010.5.30.up