*小さなわがままと大きな決意*


 菩提樹寮の門の前で、大好きな人を待つ。
 腕時計を見ると約束した時間よりも15分は早くて。
 いくらなんでも急きすぎたかと心のうちでため息をつくも、数秒もしないうちにパタパタと駆ける音が聞こえて僕は顔を上げた。

「ご、ごめん! 待たせちゃった?」

 僕の姿を見つけて、玄関からこちらに走ってきてくれたらしい。
 先輩の頬は僅かに上気し、柔らかそうな髪はボサボサになってしまっている。

「いえ、僕が早く来すぎたんです。慌てさせたようですみません」

 少しだけ呼吸の乱れた彼女に近づき、僕はその乱れた髪を手で数回梳いた。
 去年までの自分なら絶対躊躇われたこんな行動も、大好きな人に対してなら惜しみなくやれてしまうのだから不思議なもので。

「ううん、私も早くハルくんに会いたかったから走ってきたの」
「ふふ、なら僕も一緒です。早くあなたに会いたくて、約束の時間より前にここに来てしまいました」

 傍から見れば、相当浮ついた会話だと思う。
 けれど、本心から出たものなのだから仕方ない。
 僕の言葉に、さっきとは別の意味で頬を染めつつも彼女は笑顔を返してくれた。

「あ、そうだ。ハルくん、お誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます」
「プレゼントは後で渡すから楽しみにしててね」
「あなたがいてくれるだけで素敵なプレゼントですよ」
「え?」
「いえ、楽しみですって言ったんです」

 もう一度言うのはなんとなく照れくさかったから、にこりと笑って誤魔化した。
 彼女の方はまだ疑問符を頭にのせていたけれど、気にせずその華奢な手を取り、一歩足を踏み出した。
 最初は慌てた様子の彼女だったが、すぐ僕の手を握り返してくれて。二人で並んで歩く。

 今日という日をずっと心待ちにしていた。
 こうやって一日を一緒に過ごし、彼女に祝ってもらいたい。
 でも、それだけではなくて。
 もう一つ。実は密かに心に決めていたことがあった。
 誕生日。それは、彼女と僕の距離が少しだけ縮まる日。

「かなで先輩」
「ん?」

 呼び慣れたその名で呼ぶと、彼女は大きな瞳をこちらに向け、数回瞬かせた。
 『小日向先輩』、最初はそう呼んでいたのに、今では『かなで先輩』と呼んでいる回数の方が明らかに多い。
 だけど、それだけでは満足できない自分がいて。

「あの、今日一日、かなでさん…って呼んでいいですか?」

 震えた声で訊ねると、彼女は一瞬その目を丸くさせたが、すぐに柔らかな笑顔で応えてくれた。

「いいよ。今日一日じゃなくて、ずっとでも」

 それはとても有難い提案だけれど、僕は慌てて首を振ってみせた。

「ダ、ダメです! そ、それだと順序が…」
「順序?」
「あ、いえ、その…」

 星奏に在学中はなんとなく名前で呼ぶのは憚れた。
 年齢差を気にしているのは、たぶん自分だけ。
 でも、学院にいると目を背けたくても、その事実を目の当たりにしてしまう。
 彼女は『先輩』で、僕は『後輩』ということを。
 自立して彼女を本当に守れるようになるまでは、と我慢するつもりでいたけれど、耐えられない自分もいて。
 だから、今日だけの我侭でいいと思った。
 だって。

「近い未来、きっとそう呼んでみせますから」

 彼女の耳に届かぬように小さな声で呟く。
 風も僕に味方してくれたのか、びゅっと音を立てて吹いて、彼女の聞き返す声も掻き消した。

「かなでさん」
「は、はい」

 まだ呼ばれ慣れていないせいか、彼女の緊張を含んだ声が返ってくる。そんな反応も嬉しくて、僕の口元は自然に緩んだ。

「気が早いですが、来年の僕の誕生日も一緒にいてくださいね?」
「うん、もちろんっ」

 そう即答し、「でも今日もいっぱい楽しもうね」なんて言ってくる彼女は、僕の言葉に込められた真意に気づいていない。
 けれど、僕の胸は幸福感で満たされていた。
 今日という日も、これからの一年間も彼女が隣にいてくれるのならば、きっと素敵なものになるのだから。
 そして。
 18歳の誕生日、僕はもう一度彼女に告白する。
 そんな決意をうちに秘め、僕は大好きな人の手を少しだけ強く握った。


 Happy Birthday HARU!!



 すぐに結婚はしなくとも、18歳になったらプロポーズする気満々のハルです(笑)


 2010.5.4.up