*悠久のstoria* 全国大会ファイナルの後に催された祝賀会で、東金はかなでに告白をした。 前日の夜に電話をしたとき、否、それよりも前から彼女への好意を示していたつもりだったが、胸にある想いを言葉にしたのはそのときが初めてだったのかもしれない。 セミファイナルでかなでの演奏を耳にして、1stヴァイオリンとして誰よりも輝きを放つその姿を瞳に映して、彼女が持つ「花」を自分のもとでより大きく咲かせたいと思った。最初は演奏の腕にのみ興味が行きがちだったが、だんだんと距離を縮めていくうちに小日向かなでという一人の少女にも東金は魅了され、気が付いたときには完全なる虜である。 かなでが欲しい。彼女を自分のものにしたい。 そんな想いが日を追うごとに増していく。 正直ここまで一人の少女に酔ってしまった自分自身に驚きもしているが、それさえも楽しくて。 けれど、そんな自分の変化を悠長に眺めるほどの余裕は東金にはなかった。 夏が終われば、自分は横浜を去らなければならない。 できることならば彼女を攫ってでも神戸に連れて行きたかったが、周囲の抗議の激しさと、何より星奏にいたいというかなでの強い意志を尊重して、その件に関しては一時的に身を引くことにした。 けれど、だからと言ってそのまま引き下がれるほど東金千秋は寛容な男ではない。 かなでを神戸に連れて行けないということは、つまり恋敵の多くいる横浜に彼女を一人残すということと同義である。 かなでに好意を寄せる者は決して少なくない。 彼女のことをずっと見ていたからこそ、そこに向けられる視線の多さも望まずとも分かってしまう。 そんな狼の群れの中に羊、否、愛らしいウサギを残すような真似などできるはずもなかった。たとえそのウサギが致命的と言えるほど色恋沙汰に疎くても、だ。 彼女には自分だけを見て欲しかった。 物理的な距離が離れていたとしても、彼女の記憶の中に自分というものを刻み付けたかった。 そして、周囲の狼たちにそれを知らしめたかった。 だから、東金はパーティーの途中でかなでを会場の外に連れ出した。 東金には、かなで本人も自分を憎からず思っているであろうという確信があった。だから、彼女の答えなど聞くまでもないと高をくくっていたのに。 しかし。 東金の告白に対して、かなではその首を縦に振らなかった。 「嬉しいです。……でも、東金さんの手を取ることはできません」 瞳を潤ませ、震えた唇から紡がれる言葉は、東金が望むものではなかった。 どうしてだ? 嬉しい、と思っているのに、なぜ? そんな疑問が、弱々しい声と共に無意識に出る。 「……私がずるいから…です」 ごめんなさい、と。 頭を下げ、そのまま顔を伏せたまま、かなでは東金のもとから足早に去っていった。 彼女の華奢な腕を掴むことも、その足を止めるための言葉を投げかけることできず、東金はただその場に立ち尽くしていた。 ずるいから。 その言葉とそれを告げた彼女の悲痛な表情が頭から離れず、そして小さな違和感として東金の中に残った。 * * * 「どうした、不景気な顔をしているな?」 「うるせぇ」 デジカメを片手に携え、じろじろと観察してくるニアに対して、東金は眉を顰め不機嫌さを含んだ声で返した。 本当はこんなときに人前に戻りたくはなかった。けれど、いつまでも会場を抜け出したままでいると自校の部員たちや知り合いが心配し、自分を捜しに来るかもしれない。そう思って、とりあえず会場の隅まで重い足取りで移動してきたのに、よりにもよってこの女に見つかるなんてと内心で舌打ちする。けれど、本来ならば人の輪の中心にいることが多い東金が、今に限ってそんな陰のようなところにいるのだから、嗅覚の鋭い彼女が何かを察するのも至極当然のこととも言える。 「小日向を独り占めができなくて不貞腐れているのか? だが、彼女はこのパーティーのヒロインはだからな。私だって我慢しているんだ、お前も今日は諦めろ」 独り占めできない。諦めろ。 何も知らないはずなのに、どこか核心をついてくるニアの言葉に一瞬どきりとするも、東金は眉間に寄せた皺を深くするだけで、彼女から視線を外した。 けれど、ニアはその視線の先に自らの身体を移動させて、ふふんと鼻を鳴らしてみせた。 「で、小日向とは上手くいったのか?」 「……それは今の俺に対する嫌味か?」 負ったばかりの傷をえぐるような問いかけに、またしても不機嫌な声が出る。 しかし、東金の言葉に対して、ニアは心底不思議そうな表情を浮かべ、その首を傾げた。 「なぜ、そう受け取るんだ? 私は正直お前のことはどうでもいいが、彼女の恋は純粋に応援しているんだぞ?」 意味が分からなかった。 彼女──かなでの恋がなぜ自分に繋がるのか。 彼女はついさっき自分のことを振ったというのに。 「俺のところに来られても困る。ゴシップ記事を書きてぇなら別の奴に聞け」 「ふふ、おかしなことを言うな。当事者が目の前にいるのに、どうして別の奴に訊ねる必要がある?」 「俺は…当事者じゃねぇ」 東金の投げやりな言葉に、ニアはデジカメを持たない方の手を自身の顎に添えた。そして、僅かな時間思案の表情を見せた後、その口を開いた。 「どうやらお前たちの間には、それぞれ異なる誤解があるようだな」 「……は?」 「最近の小日向はお前のことばかり話していたし、私にも色々訊ねてきた。今日の演奏だって、お前に聴いてもらいたいと一生懸命練習に励んでいたんだぞ」 告げられた内容に胸が熱くなるも、それを素直に受け入れて良いものか東金は戸惑った。 彼女も自分のことを想ってくれているのならば、なぜ? 「だが、その反面ひどく悩んでいるようでもあった。お前に好意を寄せることに対してな」 脳裏に浮かんだ疑問に答えるように、ニアは東金に告げた。猫のようにつり上がった目は、東金と今はここにいない彼女の親友の姿を映しているようで。 「いや、お前と結ばれることと言った方が正しいかもしれない」 「俺と…」 喉から上手く声が出なかった。 どうしてかなでが自分の告白を断ったのかは今でも分からない。 けれど。 彼女の本当の想いを受け止めたいと思った。もう、迷いはない。 「彼女の憂いを取り除いてやってくれ。私のせいで親友を不幸にしてしまいたくはない」 「お前のせい…?」 「まぁ、それについては後で謝罪しよう。だから、今は小日向と話してこい」 文字通り背中を押され、東金はホールの中心に身を投じた。 ニアの言葉に引っかかるものを感じたが、今はそれどころではないと頭を切り替える。 周囲を見渡し、かなでの姿を捜すも、すぐには見つからなかった。 彼女もさっきまでの自分のように人目につかない場所に隠れているのかもしれない。 パーティー参加者の中でもかなでのことを捜している者がいたが、彼らに先を越されるのも、何かを感づかれるのも癪だったので、東金は足早にホールを離れた。 * * * かなでは一人テラスに佇んでいた。 さっきはあんな別れ方をしたが、やはり彼女の姿を見つけると東金の表情は自然に柔らかなものになって。 「見つけたぜ、小日向」 小さな背中に声を掛けると、白いドレスに身を包んだ少女がゆっくりと振り返る。暗がりの中にいるものの、赤く染まった目元と涙が伝った跡だけははっきりと見えた。 「東金さん…?」 「今夜のヒロインがなんて面してるんだよ」 彼女をそのようにさせた理由も自分にあるかもしれないのに、かなでを見つけられた安堵からついそんな言葉が出てしまう。対する少女は、目を見開き、だんだんと近づいてくる東金のことをじっと見詰めていた。 彼女の目の前で立ち止まり、下睫毛に残った雫を指でそっと拭う。頬に手が触れたとき僅かに身を震わせたが、かなでは逃げることもなくそれを受け入れてくれた。 ニアの言葉を丸々信じた訳ではないが、やはり彼女も自分を憎からず思ってくれているのだと改めて実感する。 だからこそ、ここで身を引く訳にはいかない。 「さっきの返事、訂正してもらおうか?」 「……え?」 かなでの頬に手を添えたまま、東金は静かな声で彼女に告げた。少女の目が先ほどよりも大きく開かれる。 「お前は俺が好きなんだろう? 俺の想いも同じだと知っていながら、なぜそれを秘めたままにしておく?」 「……そ、それは」 「ずるいから。そんな曖昧な理由は認めねぇ」 「……っ」 先ほど彼女に言われた言葉をぴしゃりと否定すると、浅葱色の瞳が僅かに揺れた。 「遠距離になることを気にしているのか? それとも、俺のファンの多さに不安にでもなったか?」 「そ、それもありました…でも、ち、違います」 後者については冗談のつもりで挙げたのだが、と東金は内心苦笑するも、彼女自身もどれほどの人間に愛されているのかを知るべきだと指摘してやりたくなった。もちろん鈍感な彼女には、到底伝わりそうもないので言わないが。 それはともかく、こうやって素直に答えるところに以前から好感を持っていたし、彼女の長所でもあるとも思っている。しかし、肝心なところは隠そうとするのだから困ったものである。 「それなら、お前の口からはっきり言え」 語気を少しだけ強めると、かなではきゅっと下唇を噛み締めた後、小さく呟くような声で言葉を紡いでいった。 「……東金さんが私に飽きてしまうんじゃないかって…こ、怖かったんです」 「お前に、飽きる…?」 「東金さんは好奇心がすごく旺盛だって聞きました。でも、手に入れたり達成できたりすると、それに対しての興味が薄れてしまうって…」 そこまで聞いて、かなでが憂いていたものが何であるかが東金にもぼんやりと見えた。 「お前が俺のものになったら、それに満足した俺はお前から興味をなくすとでも思ったのか?」 「…………」 かなでは答えなかった。けれど、それこそが答えなのだろう。 「……馬鹿」 口をついた言葉は照れ隠しでもあって。 俺の思考をどれほど単純なものと捉えているのか、となじりたくもなったが、それ以上に愛しくて。思わず華奢な身体を抱きしめた。 「ず、ずっと見ていて欲しかったんです…。だから、私…っ」 恋に疎いとばかり思っていた彼女の中に生まれた独占欲は、少女のように幼く、そして純真で。 かなでを包む東金の腕にだんだんと力が増していく。 「俺がそういう性格なのは否定しない。が、お前に対しては別だ」 「……でも」 「それなら、こう考えろ」 抱き寄せていた身体を一旦離し、少女を間近で見詰める。彼女の目には僅かに涙が溜まっていて。 「お前は俺にとって最高の女になれ。今でも十分に惚れているが、もっと溺れさせてみせろ」 「…えっ?」 「それだけじゃないぜ。ヴァイオリニストとして、恋人として、嫁として成長していくお前をずっと見守っててやる」 「よ、嫁!?」 「人間は上を目指す限り成長し続けられる。飽きる暇なんてねぇから余計なことは考えるな」 東金が恬然とした態度を崩さずに言い放つと、最初は動揺を隠せないでいたかなでだったが次第にその表情は柔らかなものになって。 「……東金さんってやっぱりすごい」 「惚れ直したか?」 「……うん」 かなでが頷くと同時に、目に溜まっていた涙が頬を伝い一筋に落ちた。それを掬うように跡に沿って唇を寄せると、流れた滴にはもう哀しみの味は含まれていなかった。 かなでが抵抗しないのをいいことに、頬や目蓋に何度もキスを落とす。そして、一番触れたいと思っていたところをゆっくりと親指でなぞりながら、東金は耳元で囁いた。 「今はまだ神戸に来なくても構わない。だが、お前がいるべき場所は俺の隣だということを忘れるな」 「…はい」 いい子だ、そう小さな声で告げて、最後に彼女の唇を塞ぐ。 未来へと続く二人の物語は、こうして夏の終わりと共に始まったのだった。 設定資料集を読んで浮かんだ話です。 そこには「頂点を極めたと納得すると次へと興味が移っていく」と書いてあったんですが、ニアが言ってしまったのは、「もしかしたら女に対しても同じなのかもな」みたいなことです。 話の中に入れられなかったのでここに(汗) もちろんニアにも悪気はありませんので! 2010.4.29.up |