*彼らの共通点*


 昼さがりの山下公園で、律はある人物と遭遇した。否、正確には発見した。
 横浜天音学園高等学校3年の冥加玲士である。
 そんな表面的な情報しか知らないほど律にとって冥加は面識のない人物であったが、全国学生音楽コンクール室内楽部門の決勝に進んだ者同士と考えるならば、立場としては自分たちと一番近い存在であるような気がした。
 けれど、だからと言って自分から話しかけるほど律は社交的ではなかったし、談笑する暇があるならばその時間を決勝に向けての練習に使いたいと考えてしまうのが彼の性分でもあった。
 おそらく後者については、冥加自身も同じことを考えるだろう。
 しかし、律は冥加に声を掛けた。
 何か特別な目的があったのではない。もちろん、対戦校として血気盛んに宣戦布告をしたかった訳でもない。
 木陰にあるベンチに腰を下ろし、項垂れている冥加の姿に思わず声を掛けてしまったというのが正しい。

「どうした、大丈夫か?」
「…………お前は」

 自分に声を掛けられたという自覚がなかったのか、自覚していたとしても素早く反応を返すこともできないほど体力が奪われているのか。ゆっくりと律を見上げ、擦れた声を出した冥加の顔は真夏の日差しに不釣合いなほど蒼白に見えた。
 自分に向けられら瞳は未だにその鋭さを保っているものの、彼が持つ独特の覇気というものがほとんど感じられない。

「熱中症か?」
「…………」
「体調が優れないのならば、もっと身体を安静にできる場所に移動した方が──」
「俺に構うな」

 眉間に深い皺を寄せた冥加が律から視線を逸らし、頭を抱えるようにして再び俯く。
 その言葉や態度からは拒絶の意思が読み取れたが、先ほどの沈黙や自分からこの場を離れないところを見るとやはり律の勘が当たっていたようで。
 弱っている者を目の前にするとどうしても手を差し伸べてしまうのが長男気質と言うべきか。

「水分補給だけでもした方がいい」

 律は手にしていたコンビニのビニール袋から麦茶のペットボトルを取り出し、それを冥加の前に差し出した。
 そのペットボトルは、彼の幼なじみがくれた差し入れの一つだった。日差しが強い日が続いているのにもかかわらず、飲み物を寮から持ち出すのを忘れていた律に彼女がついさきほど届けてくれたもの。
 まだ蓋も開けていない状態なので飲んでもらうのが一番だが、ペットボトル自体もまだ冷えているので肌に当てるだけでも効果はあるだろう。
 自分の身を案じて買ってきてくれたものだが、日射病にかかった者に渡したと言ったのならば、彼女も喜んでくれると律は確信していた。むしろ、今後そのような事態に遭っても平気なように少し多めに飲み物を手渡してくれるようになるかもしれない。
 彼女はそういう少女なのだ。この夏、律は二年振りに彼女と再会を果たしたが、本質的な部分は全く変わっていなかった。

「……そんなもの必要ない」

 律の脳裏に恨むべき相手が浮かんでいることなど知るはずもない冥加は、差し出されたペットボトルを一瞥し、低い声で律に告げた。
 いつまでも頑なな態度を続ける目の前の男に、実力行使も選択肢の一つに入れねばと律が密かに決心したとき、その冥加の口から意外な言葉が出た。

「水分ならば俺も持っている」

 そう言って持ち上げられた手にはしっかりと紙パックが握られていた。
 陽光が木々によって遮られているためやや薄暗かったのと、ちょうど冥加の身体の陰にその手があったためずっと律の視界には入らなかったのだが、それを確認し、ようやく律も僅かに安堵する。
 ストローが差してあるところを見ると、きちんと飲んでいるようだった。

「野菜ジュース、か」
「何か問題でもあるのか?」

 ただ銘柄を言ってしまっただけなのに、異様な勢いで突っかかってくる冥加に少しだけ違和感を覚えつつも、律はそれを言葉には出さなかった。

「いや、それならば栄養補給としても十分だろうと思っただけだ」
「……あいつと同じようなことを口にするな」
「ん、何か言ったか?」
「……なんでもない」
「だが、飲み物を飲んでいるようなら安心した。やはりこの炎天下では水分は必要だろう」
「元々は俺のものじゃない。朝、お節介な女に無理矢理渡されただけだ」
「そうなのか? お前のことを気に掛けてくれたのだろう。それならばその相手に感謝しなければな」
「…………」
「まぁ俺もこれをさっき貰ったんだ。今日は忘れてしまったんだが、幼…後輩がわざわざ持ってきてくれた」
「……お前の近くにも、あいつのような人間がいるのか」

 ぼそりと告げられた言葉の意味を掴みかねて、律は首を傾げるが、冥加のことだからそれ以上のことは言わないだろうとどこか頭の隅で思った。
 だいぶ顔色を取り戻してきた冥加が野菜ジュースをゆっくりと口に運ぶのを目にし、それに釣られるように律もまた手にあるペットボトルの蓋を開ける。
 口に含んだ麦茶はひんやりと冷たく、律の喉を潤してくれた。
 寮に戻ったら、もう一度彼女に感謝の言葉を伝えよう。そんなことを考えながら、脳裏に幼なじみの姿を浮かべる。

 ある夏の午後、偶然居合わせた二人。
 彼らはお互いにほとんど面識はないけれど。
 技術力の高いヴァイオリン奏者で、部活動の長を務めていて、今年の全国学生音楽コンクール室内楽部門の決勝に駒を進めている。
 立場もだけれど、意志が強く、常に毅然とした態度を崩さないという性格もどこか通じるところがあり。
 そして、何より同じ少女に心を囚われている。
 そんな意外な共通点を持っていることなど、このときの二人は知る由もないのだった。





 共通点も何も、元々は一人のキャラを二人に分けたらしいですが(設定資料集より)、元のキャラにも興味があります(笑)
 あ、野菜ジュースの差し入れは、冥加が体調を崩す前に貰ったものだと思ってください。
 体調悪いのに、野菜ジュースだけを残してかなでが去って行った訳では決してありませんので!(笑)

 …できたら全国大会後の続編も書く予定。



 2010.4.13.up