*いつまでも君の近くに*


 ぽかぽか日和の午後、ラウンジのソファで響也がうたた寝をしていると、ひどく上機嫌な声に起こされた。
 ゆっくりと目蓋を上げた先には、トレイに載った焼きたてのマドレーヌを自分の方に向けてくる幼なじみの笑顔があって。
 一緒に食べよう?と誘われれば、断る理由など持つはずもない響也は二つ返事で応えた。

「明日、誕生日だね」

 相変わらず料理の腕も一級品であるかなでの手作りマドレーヌに舌鼓を打っていると唐突にそんな言葉を投げかけられた。
 視線を向ければ、やはりにこにこ笑顔の彼女がそこにはいて。
 
「なんでお前が嬉しそうなんだよ」
「だって響也の誕生日だもん」
「……答えになってねぇっつーの」

 能天気なかなでの返答に深くため息をつくも、胸の奥にはじわり、と温かな熱が生じていて。

「お前はいつもノンキだよな」

 この一年で急速な成長を遂げたにもかかわらず、ずっと変わらぬ部分も残している少女にどこか安心感を覚える。
 だからだろうか。
 急に。本当に唐突に、昔のことを思い出した。
 そして、ぽつりと呟く。

「オレさ、ガキんときは誕生日が嫌いだったんだ」
「え?」
「いや、厳密には3月31日に生まれたってことがイヤだった」
「どうして?」
「だってさ、ずっとチビだったし、なんかすっげぇ甘やかされたし……お前に」
「わ、私?」

 少しだけの不満を込めてじろりと睨むと、かなでは目を瞬かせて驚いてみせた。どうやら自覚はないらしい。

「お前さぁ、ガキの頃めちゃくちゃ弟扱いしてたよな、オレのこと」
「そ、そうかな?」
「今じゃ全然頼りないのにな」
「むっ!」
「はは、変な顔」

 頬を膨らませるかなでの頭を、響也はあやすようにぽんぽんと撫でる。
 彼女の頭の上に載せた手も今では随分と大きくなったけれど、幼少の頃は生まれた時期の遅さもあって本当に小さかった。
 そして、それはいつもかなでの手に引かれていたような気がする。かなでもまた律の手に引かれていたけれど。

「お兄ちゃんは律くんがいたし、響也は弟みたいに思ってたのかも。響也すごく可愛かったから」
「可愛いとか言うな。あームカツク!」

 昔を思い出して懐かしそうにそんなことを言うかなでを見て、響也は若干頬を染めつつも拗ねるように唇を尖らす。

「…でも、今は嫌いじゃないんだよね?」
「え?」
「誕生日、今は嫌いじゃないんでしょ?」

 真実を見通すような澄んだ瞳を向けられて、やはり変わっていないなと胸中で零す。
 いつもはのんびりしているのに、こういうところの察しは良くて。

「ああ、嫌いじゃない。むしろ、31日に生まれて良かったと思ってるよ」
「そっか」

 響也の答えに、かなでは満足そうに微笑む。

「でも、なんで?」
「……う」
「もしかして、言いにくいこと?」

 大きな瞳に見詰められ、響也はううっと小さく唸った。
 自分は色んな意味でこの瞳に弱いらしい。
 小首を傾げる幼なじみにちらりと視線を向け、響也はぼそりと呟くように言った。

「……笑うなよ?」
「笑わないよ」
「……そ、その、お前と同じ学年になれたから」
「え?」
「あと二日遅かったら、オレはお前より一つ下だった」

 そう思ったら、少しくらい小さいことも、彼女に弟扱いされていることもイヤじゃなくなった。
 いつかきっと彼女の身長を越せると信じ、彼女の手を引っ張ることができる男になってやると決意したら、それらはとても些細なことに思えた。

「学年が違っても、響也は響也だよ?」

 分かっている。
 かなでがそう言ってくれることも、本心から思ってくれていることも。
 けれど響也にとっては、少しでも長く、かなでと時間を共有できることが嬉しくて堪らなかった。
 その思いは今でも変わらないし、きっとこれからも変わることはない。

「オレはお前の一番近くにいたいんだよ」

 無意識に告げたのは、とても自分らしくないけれどずっと秘めていた真実で。
 目の前にいる幼なじみの頬がだんだんと紅潮していく様を見て、響也は初めて自分が発した言葉の意味を理解した。
 真っ赤な顔をした二人がお互いの顔を見詰めあい、どちらからともなく笑みを零す。
 かなでの一番近くにいたい。
 それは物理的な意味だけではなくて。
 そう遠くない未来、心の距離さえも縮めてみせる、と胸の奥に誓い、響也は愛しい少女の笑顔に優しい視線を送った。


 Happy Birthday KYOYA!!



 かなでの誕生日が4月1日だと成立しないお話です。すみません。
 そして当日の話じゃなくて、響也にごめんなさい(笑)


 2010.3.31.up