*survive +*


 氷渡によって拉致され、廃ビルに捕らえられていた小日向をこの目で確認したとき、あいつはその身を更に小さくし、不安を湛えた瞳で俺を見上げた。
 暗がりの中で映し出されたその表情は、常日頃俺が見ていたもののどれにも当らず、だからこそ俺の胸を締め付けた。
 情緒を乱した氷渡が振るったナイフから咄嗟に庇ったときも、胸に引き寄せたその小さい身体は震えていて。あいつの頭を押さえていた手に無意識に力がこもるのを感じた。

「……小日向は俺の心臓と同じ。手を出すというなら、お前の首と引き換えだ」

 動揺を見せる氷渡を一瞥し、俺は語調を強め続ける。

「もう一度言う。この場からさがれ」

 そう命令された氷渡は、反旗を翻していた者とは思えない従順さで廃ビルを後にした。

 * * *

 氷渡が去ったのを確認した俺が押さえていた手を放すと、ぷつりと緊張が解れたらしい小日向はその場に崩れるように腰を下ろした。

「……立てるか?」
「……ご、ごめんなさい。すぐ…には無理、かも」

 俺が訊ねると、小日向は震える声で必死に言葉を紡ぐ。
 拉致された上に、今の今までナイフで脅されていたのだ。この反応も無理はないだろう。むしろ泣き崩れないだけ気丈である。
 小日向が落ち着くまで待つことに決めた俺は、その場から数歩離れ、自分の携帯電話を取り出した。

『──そうか、彼女が無事なら良かった。理事会のことは引き続き僕に任せて、君は小日向さんを送り届けてあげてくれ』

 電話越しからでも伝わる天宮の安堵を含んだ声に、胸がざわつくのを感じつつも俺は短く「ああ」とだけ言葉を返した。
 電話を終え、小日向の座っている方に向き直ると、あいつは俺のことをじっと見上げていて。

「少しは落ち着いたのか?」
「……うっ、あの、は、はい」
「……まだのようだな」
「うう、ごめんなさい…」

 その口調や顔色は先ほどよりはマシになったけれど、自分の足で歩くにはもう少し時間を要するようだった。
 謝る小日向には何も返さず、俺は再び距離を詰め、目線を同じにするようその場で膝を付いた。勿論仲良く談笑するためではない。あることを確認をするために。
 夏服から覗く四肢などの露出された部分に素早く視線を馳せていると、

「……その手もごめんなさい」

 と、唐突に呟かれた。
 意味が分からず顔を上げると、眉尻を下げた小日向が目に入った。その視線は俺の左手に注がれている。
 導かれるように俺自身も視線を向けると、氷渡によって切られた左手首が血を流し、その傷の存在を主張していた。
 正直なところ、指摘されるまで意識していなかったというのが正しい。視覚したことで痛みを認識したものの、すぐに処置が必要なほど重傷でもないのは明らかだった。

「貴様に謝罪されるほどでもない」
「……で、でも、演奏に響いたら」
「俺がそんな柔に見えるのか?」
「……っ」

 俺が鋭く睨みつけると、小日向は言葉を詰まらせ、その顔を伏せた。
 小日向が所属する星奏学院オーケストラ部の部長は、一年前に不慮の事故で左手首を負傷したという。その部長と今の俺を重ねたのかもしれないが、俺にとっては不名誉なことでしかなかった。
 目の前にいるこの女と決着を付けるまで、俺が足を止めるはずなどないというのに。
 未だ弱々しい声しか出せないその口で手当てをしたいなどと言い出す小日向を黙らせ、俺は暗がりでも映える白い肌に再び視線を戻した。
 この女が無傷であることを祈りながら、鋭い眼差しをその身に集中させる。
 俺の行動に今更ながら不可解なものを感じたのか、小日向は身を捩じらせて逃げようとしたが、俺は腕を掴み、それを制した。
 ふと、掴んだ左腕の先端近く、俺が負傷したのと同じ手首にほんのりと赤を残した痕を見つけ、俺はその腕を小日向の前に掲げた。

「……これは、どうした?」
「え?」
「これはどうした、と聞いている」
「わ、分からないです。何かの拍子で付いちゃった…のかな」

 苛立つ声で問い質すと、小日向は首を傾げてそう答えた。
 名を挙げないのは無意識にあいつを庇っている所為なのか。けれど名など出さずとも、誰の仕業かは明白だった。普段の生活で、このような痕は残るはずもない。

「あ、でも大丈夫ですから。全然痛みもないし」

 氷渡がこれ以上責められることを危惧したのか、それとも俺の立場を案じてなのか、小日向は無理矢理に作った笑顔を俺に向けてくる。
 その情けこそが俺を苛立たせるというのに、なぜこの女は気付かない…?
 氷渡が付けたであろう手首の痕を自らの手で包み、俺は拳を握るように力を加えた。

「…っつ!」

 声にもならない悲鳴が小日向の口から僅かに漏れる。苦痛で歪めるその顔に、胸の奥からふつふつと湧き起こる言いようもない感情を抑えつつ。

「貴様の慈悲などいらん」

 そう言って、俺は手の力を緩めた。
 曲げていた指を一本ずつ解放するにつれ、白い肌に新たに深く刻まれた赤の痕が姿を現してゆき。
 こいつを屈服させるのも、汚すのも俺だけでいい。
 完全にひらいた手の上で、烙印のように刻まれたそれを目にしたとき、俺はこの女への支配欲を自覚した。





 ぎゃーまたまた捏造すみませんっ!!(土下座)
 Sな冥加さんをちょろっと出してみました。これ以上やるとかなでが可哀相なので自重します。
 いや、本当はもう少し甘い展開を考えていたんですけどね…どうしてこうなったんだろう(笑)
 まぁ最後あんな感じで締めつつ、数日後冥加さんは「俺を支配してくれ」的なことを言っちゃうんですけどね!(笑)
 申し訳なさすぎるので、この後冥加さんは歩けないかなでをお姫様抱っこしたんだよ!なんて妄想をぶっ込んで、この場から退場させていただきます…!

 あ、あと、氷渡の振り回してたのはパイプ椅子らしいのですが(設定資料集より)、ここではナイフになってます。すみません。



 2010.3.13.up