*fine day,lonely wolf*


「おい、榊! あれはどういうことだよ!?」
「は? あれ?」

 朝、教室に入った途端に血相を変えた友人の岡本に詰め寄られ、榊は自身の目を丸くした。
 岡本は今にも胸倉を掴みそうな勢いでこちらを睨み付けているし、教室にいる生徒たちも好奇を含んだ目で自分たちを見てくるが、榊には全く見当もつかない。

「どういうことか説明しろよ!」
「いや、だから何を──」
「小日向さんのことだよっ!!」
「……え、ひなちゃん?」

 理由が何であれ、友人の小煩い戯言だと思って軽くあしらうつもりだったのに、予期せぬ名前が飛び出し榊はその表情を硬くした。
 ここまでのやり取りだけを見ると、まるで彼女を挟んだ恋愛に関して榊が責められているような流れだが、残念ながら思い当たるエピソードはない。
 けれど事情を知らない周囲の人間たちは、更に強い好奇の視線を送ってくる。しかも、挙がった名前が名前だけに、数人の男子生徒からの非難の目も加わって。
 この場に留まることの利点を感じないと判断した榊は一つため息をつくと岡本の襟を引っ張りながら、足早に教室を出て行った。

 * * *

 まだ朝礼までに時間的な余裕もあるし、人の目を避けることもできると思い、岡本を屋上まで連れてくる。雲一つない晴天の下、榊は腕を伸ばし深呼吸をした。

「──で、ひなちゃんがどうしたって?」

 一番気に掛かることから切り出すと、移動中もギャーギャーと騒ぎ続けていた岡本がやはり興奮気味に口を開いた。

「なぁ、オケ部の部長と小日向さんってどういう関係なんだよ!?」
「部長って律のことか?」
「名前なんか知らないけどさ、あともう一人小日向さんと親しい音楽科の男子がいるだろ? アンサンブルも組んでた、もう一人のヴァイオリン」
「……ああ」

 響也だな、と心の中で呟きつつ、岡本の次の言葉に耳を傾ける。

「そいつらと小日向さんってどんな関係なんだ?」
「どんな関係って…幼なじみだって聞いてるよ」
「本当か? 本当にそれだけか?」

 教室のときのように詰め寄られ、榊はやや後退りながらも、岡本をしっかりと見据えた。目の前の友人が夏休みの頃からかなでを気に入っていることに気づいてはいたが、たとえライバルだとしても彼女に関することならば榊だって捨て置くことはできない。

「それだけってどういう意味だ? ひなちゃんがどちらかと付き合っているとでも?」
「それを俺が聞いてるんだよ。お前、副部長なんだし知ってるだろ?」

 副部長だからなんなのだ、と突っ込みたくもなったが、榊はその言葉を抑えた。同じ部活に所属している分、そういう事情に詳しいと思われるのも仕方ないのかもしれない。

「……俺が認識している限りでは、そういうことはないよ」
「だけど、あの男共は小日向さんのこと絶対好きだよな!?」

 それに関しては何とも言えないというのが正直な気持ちだった。響也はともかく、律のかなでに対する感情は読み取りにくい。だが、最近見るようになった律のあの柔らかな表情は、紛れもなく彼女にのみ向けられるもので。入学以来の付き合いの榊も初めて見たときは目を見張る思いをしたものだった。
 あの二人にかなでへの気持ちを確かめたことは一度もない。けれど、憎からず思っていることは確かだろう。夏休み前にかなでと響也が編入して以来、ほとんど毎日一緒にいたのだから間違いはあるまい。
 ──それにしても、と。榊は頭を抱えて唸っている岡本に視線を向けた。

「なぁ、なんで急にそんなことを言い出したんだ? お前、何か見たのか?」

 素直な疑問だった。彼らの関係が幼なじみということを知らずとも、全国優勝を果たしたアンサンブルのメンバーであることは、今や星奏学院の生徒のほとんどが知っていることだった。だから、大会期間中ならばともかく今更彼らの関係をあれやこれやと騒ぎ立てることに若干の違和感を抱いたのだ。
 もしも岡本が疑惑を持つような状況を目にしたのならば、話は変わってくるのだけれど。
 榊に問われ、岡本は肩を落としながらぽつりぽつりと言葉を紡いだ。

「昨日、夕方に雨降ったよな? 俺さ、少し遅くまで学校に残ってたんだけど、帰りに小日向さんとその二人を見かけたんだ」
「ふーん、それで?」
「なんかさ、傘が二本しかなかったらしくて、小日向さんを挟んで相合傘してたんだよ」

 岡本が発した単語に、なんとも微笑ましい光景だと口角を上げながらも、榊の胸は少なからずざわついて。

「傍から見ても本っ当に仲良さそうなんだぜ。たまに笑い声なんか聴こえてさ」
「……お前、もしかして寮までつけたりしたのか?」
「そ、そんなわけあるか! 途中まで道が一緒だったし見てただけだよ。でも、その間ずっとそんな感じだった」
「まぁ、仲がいいのは確かだと思うよ。俺にも、そう見える」

 なんとなくこれ以上聞きたくなくて、自分にも言い聞かせるように榊は呟いた。少しだけ見ない振りをしていた彼らの関係だけれど、やはり自分がいないところでも変わらぬ様子だということを改めて痛感する。

「……そっか。でもまぁ、まだ諦めるのは早いよな」
「え?」

 岡本の言葉に榊は僅か俯いていた顔を上げた。陽の光を浴びた友人の表情は、同じように晴れ晴れとしていて。

「だって、仲良いけど付き合ってはいないんだろ? お前が見てる限り」
「……あ、ああ、多分」
「それなら、俺にだってまだチャンスはあるってことだよな。なんかライバルっぽいのがいるってことだけ覚えとくわ」

 にっと歯を見せて笑う岡本を見て、榊はつられるように口の端を上げた。この前向きさは見習うべきかもしれないと、胸中でのみ呟く。

「やべ!」
「ん、どうした?」
「俺英語の宿題やってないんだった。榊、見せてくれよ!」
「ああ、別に構わないよ」

 感心している最中、友人が声を上げたと思ったら、その理由は些細なことで。
 さっきまでのやり取りは既に岡本の中では決着したことなのだろう。その切り替えの早さに再び榊は感心してしまう。

「サンキュー。あ、そろそろ時間だし、俺たちも教室に戻るか?」
「いや、眠気覚ましにもう少し日光浴でもしてるよ」
「そっか、じゃあ俺は先に行くわ。授業前頼むぜ?」
「ああ、もちろんだ」

 片手をあげて立ち去る岡本の背中を見送る。扉が閉まるのを確認してから、榊はフェンスにもたれかかって青い空を見上げた。

「相合傘、か…」

 実際には見てはいないけれど、二つの傘を差してかなでを挟む兄弟の姿を思い描く。
 そのときの彼らの表情はどのようなものだったのか。かなではどんな風に笑っていたのだろうか。
 その顔を一番近くで見ていたのが自分ではないことが悔しくて。少しだけ妬ましくて。
 けれど。

「俺にだってまだチャンスはあるよな」

 友人の言葉を思い出し、眩しく輝く陽に目を細めながらそう独り言つ。
 本物の傘もいいけれど。
 自分が一番望むのは、子どもの落書きのような線で描かれた傘の下で彼女と二人並ぶこと。
 それをきっと叶えてみせる、と榊は胸の中で静かに誓った。





 お友達記念として相互リンクをしていただいている国高ユウチさまに捧げました。
 前作に続きこちらも受け取ってくださってありがとうございます!!


 2010.4.2.up