*彼女の気持ちは誰のもの?*


 とある日の午後、菩提樹寮のラウンジで数人の若者たちがそれぞれ神妙な面持ちで小さく唸り声を上げていた。
 ことの発端は数十分前、火積が“あるもの”を見つけたことに始まる。

「あれ〜火積先輩、そんなとこにつっ立ってどうしたんですか?」
「……ん、ああ、いや」

 ちょうどラウンジに入ってきた新が一人ぽつんと立ち尽くしている火積の後姿を見かけ、声を掛けるも相手の反応は鈍く。
 火積が俯いている様子なので、彼に近づき、後ろからひょいっと顔を覗かせてみると、その手のひらには何か小さく光るものが載っていた。
 よく目を凝らしてみると、

「わっ、指輪じゃないですかー! もしかして火積先輩の?」
「んなわけあるか! その…ひ、拾ったんだよ」
「えーホントですか? もしかして、かなでちゃんへのプレゼントとか!」
「あ!? ち、ちげぇよ!」
「ズルイなぁ火積先輩、抜け駆け禁止〜」
「だから、ちげぇっつってんだろっ!」

 頬を少しだけ染めた火積から容赦ない鉄拳を受け、新は頭頂部を押さえながらその場にしゃがみ込む。

「うるせぇぞ、お前ら」
「何騒いどんの?」

 次にラウンジにやって来たのは東金と土岐だった。土岐は涼しい顔を浮かべているが、東金の表情は外の暑さも相俟って言葉通り険しい。
 所属校も異なり、大会でも顔合わせを果たさなかった彼らであるが、お互いに寮に滞在している身であるため既に顔見知りである。
 すんません、と頭を下げる火積とは対照的に、新は二人の前にずずいと近寄って、

「それよりも聞いてくださいよ、センパイたちー!」
「あ?」
「うん?」

 嫌な予感を察して、火積が慌ててその口を塞ごうとしたが無駄だった。

「火積先輩ってば、かなでちゃんに指輪をあげようとしてるんですよ!」

 新の言葉に、へぇだのふーんだのそれぞれの声を漏らした二人が同時に火積に視線を移す。お互いに口の端を上げて余裕の表情を見せているが、目だけは笑っていない。
 新をもう一度殴ってもよかったのだが、二人の鋭い視線に耐えかねて、火積は渋々とその口を開いた。

「さっきこれを拾ったんだ。…別に俺のじゃねぇんで、小日向にやるとかもない」

 一応弁解も兼ねて彼女との接点を否定しつつ、手のひらの指輪を二人の前に差し出す。

「ふーん、キレイな指輪やね」
「女物か?」
「どうやろ、デザインはそんな感じしよるけど」

 繁々とそれに視線を配る神南の二人に、今度は新が口を挟んだ。

「センパイたちのでもないですか?」
「当たり前だろ。ってか、なんで男のモンだと思うんだよ」
「だって、ここにあったってことは女の子も限られますよね。オレ、かなでちゃんが指輪してるの見たことないし〜」
「……まぁ」
「……そうやけどね」

 新の言う通り、この菩提樹寮にいる女子は二人しかいない。小日向かなでか支倉仁亜か。ここにいる全員、かなでとは親しくしている“つもり”だが、彼女の指にリングがはめられているのを見たことがない。

「なら、あの猫女のモンじゃねぇのか?」
「ん〜オレはしてるの見たことないなぁ」

 確信はないけれど、ニアの所有物ではないだろうと誰もが頭の中で納得してしまう。

「だから、誰かがかなでちゃんにあげようとこっそり持ってたんじゃないかって思うんですよ! なのに落としちゃったのかなって」
「ふーん、まぁ短慮な気もするが、あり得なくもねぇか」

 そう言って、東金は右手を顎に添える。
 男子がこっそり持っていた、というところまでは良いとして、なぜプレゼントする相手がかなで限定で話が進んでしまうのかを突っ込む者は誰もいなかった。
 何せこの菩提樹寮の滞在者だけでも彼女を狙っている輩は多くいる。外部の人間も加えれば、頭が痛くなるほどである。
 そして、もちろんここにいる四人もライバルな訳で。

「まぁ、さっきも言ったが俺のじゃねぇよ。俺ならもっと気の利いたモンをあいつにやる」
「俺ももう用意しとるし」
「……なっ」

 聞き捨てならない言葉に思わず声を出してしまったが、火積にはそれ以上詮索することはできなかった。とりあえず、気が抜けねぇ、と心の内で嘆息する。

「じゃあ、律さんか響也さんのどちらかですかね?」
「如月はねぇだろ、弟の方なら考えられるが」
「確かになぁ」
「響也さん、可愛い〜でもズルイ〜」
「あれ、みんな集まってどうしたんだい?」

 好き放題言っている四人(厳密には三人)の背後から、のんびりとした声が掛かる。振り向いたその先には、水羊羹をトレイに載せて穏やかな表情を浮かべた八木沢が立っていて。

「この展開! もしかして八木沢部長のですか!?」
「えっ? 何がだい?」
「ズルイです、部長ぉ〜!!」
「うわっ、水嶋落ち着いて…」

 八木沢の元に駆け寄った新が両肩を掴み、ぶんぶんと前後に激しく揺らした。揺らされた八木沢は、水羊羹が落ちないよう気を付けながら、長身の新を見上げるのみで。後を追った火積が新を無理矢理引っ剥がし、その頭を思い切り殴った。
 状況を掴めない八木沢は、未だ頭上に疑問符を浮かべているが、丁寧に説明をしてくれる者はこの場にはおらず。

「なかなかやるやん、八木沢くん」
「ユキ、お前餌付け攻撃に飽き足らず…」
「部長もライバルだったら、オレどうすればいいんですかぁ〜!」
「ええっ、だから何が?」

 三人がまた好き勝手なことを言い始めたので、火積は頭を抱えた。けれど困惑する八木沢を放ってはおけず、ここまでの流れを掻い摘んで説明する。

「──まぁ、そんな次第です」

 八木沢に詰め寄っていた三人を引き離しつつ、そう火積が締めると、八木沢は顔を赤くして、けれど首を振って訴えた。

「ぼ、僕じゃないよ。そんな小日向さんに贈り物だなんて」
「じゃあ、そのトレイの上の水羊羹はなんだ?」
「あ、これは彼女が食べないかなと思って用意したものだけど」
「……餌付けは続行中じゃねぇか」
「冷蔵庫にまだまだあるよ、みんなも食べるかい?」
「……千秋の嫌味が通じとらん」

 東金と八木沢のどこか噛み合わないやり取りに土岐が感嘆の声を漏らす。

「う〜ん、じゃあ誰のだろう?」
「やっぱり如月弟なんじゃねぇか?」
「というか、小日向さんが自分で買ったのかもしれないよ」
「むーん、確かにそうですけどぉ」

 どこか納得のいかない様子の新が腕を組みながら、その口を尖らせる。けれど、やはり答えは見つからず。小さな唸り声が自然に漏れる。
 ──そして、冒頭に至るのだが。

「みんな、どうしたの?」

 鈴のような声がラウンジに響き、全員が面を上げる。
 そこには、誰もが脳裏に思い浮かべていた少女の姿があって。

「かなでちゃん!」

 新が満面の笑みで手をぶんぶんと振ると、かなでもにこにこと微笑みながら駆け寄ってきた。

「小日向、いいとこに現れたじゃねぇか」
「え? どうしました?」
「これさ、かなでちゃんの?」
「あっ!」

 いつの間にか新の手に渡っていた指輪をかなでの前に差し出すと、予想以上の反応を見せて。

「ありがとう、今日ずっと探してたの!」

 向日葵を思わせるような笑顔に、数名は自身の頬が上気するのを感じ、数名は眩暈を起こしそうになるも、どうにか表面に出さないように耐えてみせる。

「火積先輩が見つけたんだって」
「そうだったんだ、ありがとう火積くん!」
「……い、いや俺は別に」

 ラウンジで前足を舐めている猫を見つけ近寄ってみたら、実は指輪を咥えていて、猫には即座に逃げられたので指輪だけが残ったという経緯があるのだが、そんなことはライバルたちがいるところでは口が裂けても言えず。
 彼女が喜んでくれたのなら、それだけで十分だと思ってしまうのだから、自分もつくづく重症である。

「お前、指輪なんて持ってたんだな?」
「はい、でも付けたことはないです」
「そうやね、見かけたことあらへんもん」
「でもね、ずっと持ってるんです。律くんから貰ったお守りだから」
「「「「なっ!!!???」」」」

 予告もなく投下された彼女の爆弾発言と挙がった名前の意外さに、四人の男は同時に驚愕の声を漏らす。ちなみに声を出さなかったのは八木沢だが、驚きのあまり声も出ないというのが心境で。
 この後、かなでは質問攻めに遭い、この日から律とかなでが付き合っているだの、婚約してるだのと様々な噂が飛び交うのだが、どこか疎い当事者たちは別段気にした様子もなかったという。





 律の話を進めた方なら分かると思いますが、指輪は例のアレです。
 なんで指輪なんだろう、というのが常に頭にあったので、こんな話にしてみました。
 あと、火積と猫のエピソードを書きたかったんです(笑)



 2010.3.11.up