*恋の蕾* 「なぁ、なんで俺のお願いきいてくれへんの?」 「え?」 全国大会が終わって数日経ったある日、寮のテラスでのんびり夕涼みをしていたら、唐突に土岐に訊ねられた。 「私、土岐さんのお願いは大体きいてるつもりですよ? い、今だって、その…」 その後の言葉に詰まり、頬まで紅潮させている少女を見上げて、土岐はくすくすと笑う。 そう、今だって彼は少女の膝を枕にして横になるというお願いをきいてもらっているわけで。 「こんなん恋人同士なら、当たり前やろ?」 「そ、そうなのかなぁ…」 恋が初めてという彼女は、土岐のそんな言葉でさえ首を捻りつつも純粋に信じてしまっている様子で。 そんな彼女に危うさを感じるけれど、その純真さこそ自分が彼女に惹かれたところであり、何よりもこんなことを言えるのは自分だけの特権だという優越感が土岐を満たす。 「でもなぁ、一個だけきいてくれとらんお願いがあるんよ。あの日から俺はずっと言ってるのに、あんたは全然叶えてくれへん」 「うっ…」 土岐の言葉に少女は小さく唸る。さすがの彼女にも思い当たる節はあるのだ。ただ、ずっと誤魔化し逃げていただけで。 「なぁ、一生のお願いやからきいてくれん?」 「土岐さんの一生のお願いは花火を一緒に見たときにききましたっ」 「なぁんや覚えておったの?」 「当たり前です!」 土岐の願いは、彼にしてみればさして難題とは感じられないものだった。たぶんそれは一般的にも。 けれど、少女は渋るのだ。土岐にはその理由が分からなかった。 「他の子には普通にやってることやん? 如月くんとかその弟クンとか」 「だって、律くんたちは幼なじみ…だし…」 「じゃあ、水嶋クンは?」 「ハルくんはもみんなから呼ばれてるから、自然に…」 「ふぅん……そんなら、あの副部長は?」 「え?」 「榊くんはあんたの幼なじみでも、可愛い後輩でもないやろ?」 「……大会のときから思ってましたけど、土岐さんって大地先輩によく突っかかりますよね」 「ふふ、そうやったっけ? でも、そんなん今は関係ないで。俺の質問に答えな」 「……大地先輩も、いつも一緒にいる律くんが呼んでたから自然に」 「なるほどなぁ、なら俺のことも呼べるはずやん?」 「?」 「いつも一緒におる千秋は俺んことなんて呼んどる?」 「うう…」 「“蓬生さん”、あんたからそう呼ばれたいなぁ。あ、呼び捨てでも構わへんけどね?」 さっき言ったあの日というのは、数日前の二人が結ばれた日のことを指すけれど、土岐の脳裏にはもう一つの大切な日も思い起こされて。 菩提樹寮に初めて訪れて、彼女とも初めて言葉を交わしたとき。冗談まじりに同じことを言ったことを彼女は覚えているだろうか。 あのときの自分に確かな恋心があったとは言い難いが、無意識にずっと彼女に名前で呼ばれることを願っていた。だから、どうしても叶えたい。 顔を先ほどよりも赤くさせて俯く少女の輪郭をなぞるように優しく撫でて、土岐は問うた。 「なぁ、どうして嫌なん?」 「…い、嫌なわけじゃないです。ただ…」 「ただ?」 「す、好きな人を名前で呼ぶって…その、初めてだから…」 震えた声で紡がれた言葉は、儚く、そして純真で。 そのときやっと気づいた。 家族への愛や友情としての好きではなく、初めて抱いたその想いに彼女は戸惑いつつも精一杯向き合おうとしていることを。 恋が初めてという彼女は、自分が思っていた以上に純粋で、けれど懸命に自分との恋を大切にしてくれているんだということを。 自分の名前を呼ぶことが彼女にとって特別な意味があることに全く気づくことができずに子供のように嫉妬していた自分が少し情けなくなるけれど。 でも、それ以上に彼女の気持ちが嬉しくて。心が満たされてゆく。 上体を起こし、未だに俯いている少女を自分の方へ引き寄せて、その耳元で囁く。 「そっか、無理せんでええよ。ゆっくり育んでこ」 自分の言葉に小さくこくりと頷く少女が愛おしくて、 「そういうとこも大好きやよ、かなでちゃん」 柔らかな髪を何度も撫で、少しだけ顔を覗かせた白い肌に土岐はそっと唇を寄せた。 恋の蕾は、まだ実ったばかり。 はい、すみません。どうしてこうなった(笑) 東金で書こうとも思った話なんですが、榊云々のところは土岐の方がしっくり来るかな、と。 それに東金相手だと結構積極的ですからね、かなでちゃんは(笑) ゲーム内で、土岐が「かなでちゃん」呼びすることはありませんが、名前で呼べ呼べ言ってる本人が呼んでないのもアレなので。色々捏造すみません(今更だけどね!) ちなみに、かなで→星奏メンバーの呼称は、漫画を参考にしました。 2010.3.4.up |